「つばさ」の川越



2009年04月11日


「つばさ」の川越
土曜日の午後2時頃、思い立って川越に行きました。
いまNHKでやっている連続ドラマ「つばさ」が
川越を舞台にしているのを見て行ってみたくなったのです。

筆者は生まれも育ちも朝霞ですから
川越の町は昔から知っておりますが
これは正しくは知っているつもりだったというだけで
川越の町はじっくり歩いてみると
同じ道を歩いても新たな発見があるわけで
その文化の厚みに驚くばかりです。
観察力がないから一度の町歩きでは
見落としているという説も有力ですけど。

当旅行記では二度目の川越散策です。

駅のそばから北に走るクレアモールを散策します。

土曜日の午後のクレアモール。新宿もかくやの賑わいです。
筆者は何度も川越を通過しておりますが
それは車での通過でしてクレアモールを歩いたのは初めてです。
川越すごいですね。
それに加えてこのところのつばさブームですので
もうブレイクしますね、川越は。

NHKのドラマの「つばさ」が川越を元気にしています。

クレアモールを15分くらい歩くと道の雰囲気が変わって
大正浪漫夢通りと呼ばれる通りになります。
夢の一文字は余計ですね。語呂が悪いです。

画面左側においそうな中華料理店があります。
途中で興味深い看板を見ました。
看板の赤い箸はちょうどラーメンを食べるリズムで上下して
麺が箸にたぐられるのです。
思わずラーメンを食べたくなる優れた看板です。

大正浪漫夢通りに入ってすぐのところに
熊野神社という神社があります。
この神社の境内に銭洗い弁天という社を見ました。
銭を洗うといいことがあるらしいです。

心惹かれる銭洗い弁財天。
筆者はずっと以前に鎌倉で銭洗い弁天にお参りをしましたが
未だその御利益に与っておりません。
いま再び銭洗い弁天様におすがりして
金運舞い降りますよう祈願いたしました。

大正浪漫夢通りは
大正の雰囲気を色濃く残すいわゆる看板建築の
建物が多いようです。
ちょっと神田神保町の本屋街みたいです。

蔵造りの町の一本隣にはこのような大正風情の街並みがあるのですから、川越は深いです。
空にはたくさんの鯉のぼりが舞っておりました。
そういえばもうじき端午の節句なんですね。
いつの間にか季節は初夏であります。

鯉のぼりを見上げながらゆっくり進むと
大正浪漫夢通りを過ぎて蔵作りの町に至ります。
この通りにはたくさんの蔵作りの商家の建物が残されていて
それは壮観です。
市もこの地区の景観の観光資源に注目して
道路に沿った電柱を一切取り払いました。
電柱がないと空が広くなったようです。
江戸時代の町並みは
きっとこうだったろうと思わせるすっきりした風景です。
反面昔は電気もガスも上下水道もなくて
テレビも電話もインターネットもなくて
つまらなかったろうなあと思いを馳せます。
テレビはいまもつまらないですけどね。

蔵の町の存在感に圧倒されながら
横道に逸れて時の鐘に寄り道します。
周りに高い建物がないため
黒い鐘の櫓がなかなかの迫力です。

川越のシンボル、時の鐘。
家人は育った町にも時の鐘があったので
親近感があると言ってうれしそうです。
そういえばどちらも城下町です。

蔵作りの町に戻ってこれを超えて
お菓子横丁に進みます。

いつも賑やかなお菓子横丁。
戦後の昭和を思わせる
子供向けの駄菓子屋を集めた人工的な小道ですが
これがなかなか見ていて飽きないのですね。
初老にさしかかった筆者が見ても
買ってみたくなるものがたくさんあります。
あたり「前田のクラッカー」なんか思わず買いそうになりました。

再び蔵の町に戻って歩き回っていると
「銀巴里」という興味深い名前のお店を見ました。

おお、こんなところに銀巴里が!
銀巴里といえば有名な銀座のシャンソン喫茶でしたので
きっとあのお店に因んでの命名なのでしょう。
懐かしい名前を拝見しました。

蔵作りの町並みの真ん中付近に
お洒落な陶器の店がありましたので入ってみました。
そうしたらこの「陶舗やまわ」は
つばさの実家「甘玉堂」の舞台になっているのだそうです。
すごいじゃないですか。

陶舗やまわのどっしり存在感のある店舗。
ドラマの中に出てくる
庭に引き込まれたトロッコのレールを思わせる
奥に通じるレールも見つけてなんだかうれしくなっちゃいます。
ドラマのとは違うと思いますけどね。

店舗から奥の窯にトロッコが引かれています。
町歩きの最後に
つばさのロケ地まで見つけて大満足の川越散策でしたが
夕方にはすっかり疲れて息も絶え絶えに帰路につくことになりました。
城下町特有の不規則な道路に迷いながら
どうやら川越市駅にたどり着いて東上線の車内に倒れ込んだのは
午後6時を回る頃でした。
おもしろかったけど疲れました。

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