板橋宿



2009年04月04日


板橋宿
中山道のお江戸日本橋を出ると最初の宿場町が有名な板橋宿であります。
板橋宿は栄えた宿場町だったわけですが
同時に広大な加賀前田藩の下屋敷があったことも
板橋の地を特徴付けているわけです。
今回我々は板橋宿に遊ぶことにしました。

JR板橋駅は朝霞から行くには行きにくい場所ですが
東上線下板橋駅から徒歩10分ほどのところです。
わざわざ池袋まで行ってJRに乗り換えて
板橋駅まで行くのは不経済というものです。
下板橋駅なら大山駅の一つ先ですからすぐじゃないですか。

木造の駅舎がいい感じのローカル感を出しています。都内なんですけど。

都下私鉄によくある小さな駅を降りて
少しだけ北西に歩くと大きなJR板橋駅に着きます。
途中の道筋に植えられた桜は木によってはすでに満開の様相です。
どうやらいくつかの種類の木が混在しているようです。

板橋駅に到着すると先ほどの東上線の駅との違いを感じます。
やっぱりJRは駅が大造りですね。
駅舎にはめ込まれたコーヒーショップも駅の賑わいを演出します。
乗降客もそれだけ多いのでしょうね。
一般的に料金もJRの方が高いし。

なんたって板橋駅ですからね。ビッグネームです。
その大きなJR板橋駅の向こう側に
近藤勇の墓があるというので行ってみることにしました。
近藤勇ですぜ、行かなくちゃ。

これが近藤勇墓所。新選組隊長と書いてありました。
近藤勇と言ったら誰でも知ってる新選組局長ですね。
新選組の前は壬生浪士組ですね。
そういえば昔京都で壬生寺を探して歩き回ったけれど見つからなくて
時間切れで諦めたことがあったっけ。
そのうちもう一度行ってみます。

天然理心流剣術宗家四代目宗家、剣術家だったんですね。
近藤は百姓の出身でありながら
剣を磨きついには御目見得以上の幕臣となりました。
当時の幕府にとって新選組の存在は大きかったようです。

近藤勇、土方歳三の墓。旧同志の長倉新八が明治8年に建てたのだそうです。
後に幕軍は官軍に敗れ近藤勇は板橋刑場で処刑されたそうです。
そのためここ板橋に近藤勇の墓があるのですね。

その後板橋大阪京都でさらし首になって
近藤の遺体は東本願寺で埋葬されたそうです。
ところが愛知県岡崎市法蔵寺に近藤の首塚があり
東京都三鷹市の龍源寺に墓があり
福島県会津若松市の天寧寺にも墓があり
(こちらは土方歳三が建てたそうです。)
山形県米沢市の高国寺にも墓があります。
あちこちに墓があるわけです。
それぞれ遺体の一部などが埋葬されているそうです。
さすが近藤勇は人気がありますね。

近藤勇の墓をあとにしていよいよ中山道を下ります。
少し歩くと首都高の五号線の下をくぐって板橋不動通り商店街に入ります。
板橋を貫く中山道はこの地で川越に至る川越街道を分岐していました。
いま川越街道と呼ばれている道路は
少し違ったところを走ってすこしのちにこの道と合流します。

画面左に分岐するこの道に沿っていけば我が朝霞に至るわけです。右の道は旧中山道です。
実はこの道に入る前に画面右後ろにある
東光寺というお寺を見逃してしまいました。
東光寺にはあの有名な宇喜多秀家の供養塔があるというじゃないですか。
宇喜多秀家は八丈島で死んだわけですが
後に子孫がこの寺に供養塔を建てたということです。
見たかったです。

少し歩くと観明寺という成田山新勝寺ゆかりのお寺があります。
板橋出世不動ともいうそうです。
そのためこの付近の中山道は不動通りと言います。
写真の赤門は加賀藩下屋敷で使っていたものだそうです。
そういえば本郷の加賀藩上屋敷にも赤門がありましたね。

赤門が好きな加賀藩。

この地は加賀前田藩の下屋敷があったため
今も加賀という地名が残っていたり
金沢小学校があったりするのだそうです。
ついこの間まで(120年くらい前ね)
広大な加賀藩の屋敷があったわけですから地名くらい残りますね。
今いる100歳の人が生まれた頃の20年くらい前ですから
ついこの間とも言えますよね。

そのまま中山道をぶらぶら歩いていたら
「いたばし観光センター」と言ういかにも官が作った感じの案内所がありました。
僕たちはここでいくつかのパンフレットや地図を
いただこうと思って立ち寄ってみました。
そうしたらここが充実の施設なのでありました。
数種のパンフを物色していたら職員の中年氏が
「今日はどちらからおいでですか」と話しかけてくれました。
氏は無知な僕たちに板橋の散歩のおすすめコースなどを紹介してくれて
僕たちに必要なパンフレットを選んでくれました。
お礼を述べてロビーの一角に飾られた展示を見ていると
今度は別の初老の職員が近寄ってきて
展示にまつわる板橋の歴史などを解説してくれます。
お話は非常に興味深くて展示と解説の組み合わせは
話が立体的になる効果をもたらしてくれたのでした。

日曜日もやっている「いたばし観光センター」
板橋区ってすごいです。
筆者は高校時代を板橋区内に通って過ごしましたが
あいにく当時は板橋区のことは何も知らなくて
興味もなくてもったいないことをしました。

観光センターを辞してさらに進むと板橋中宿商店街に入ります。
商店街はかなりの人出で町内の人たちがテントを張って
道行く人に甘酒を振る舞ったりお赤飯を売ったりしていました。
僕は甘酒に目がないので勧められるままに紙コップを受け取って
美味しい甘酒をご馳走になりました。
あんまり甘酒が美味しかったので
ついお赤飯を一パック求めてしまいました。

いかにも地元の町内会がやっているお赤飯販売。

中山道が石神井川を渡るときの橋が「板橋」と呼ばれる橋です。
板橋の地名の元らしいですね。
さすがに今は板の橋ではなくて鉄筋コンクリートの橋です。
板のふりしてるけど。

橋の上には屋台が出ていました。桜のシーズンですからね。

板橋から少し歩くと「縁切榎」と呼ばれる興味深い木があります。
この木に願をかけると
自分に降りかかっている忌まわしいものと縁を切ることができるという
素晴らしい「えのき」です。

街角にさりげなく、圧倒的な存在感で「縁切榎」はありました。
鎌倉の東慶寺というお寺は夫と縁を切るために
妻が逃げ込むことができる縁切り寺ですが
こちらの縁切榎は婚姻関係に限らず
様々な邪悪な関係について
この木に願をかけて縁を切ると言うものなのですね。

狭いけれども濃密な空間がありました。
画面左にかけられた絵馬には
書いた人が断ち切りたいと考える
様々な人生の苦悩がつづられていて胸が締め付けられるようです。
筆者も思わず榎様にお願い事をしたのでありました。

先ほどの板橋まで戻って今度は石神井川に沿って西に進みます。
このあたりは川堤にたくさんの桜があってすでにほぼ満開です。
川面を見ながらゆっくりと東上線の中板橋駅に向かいます。
西に向かって撮った写真が逆光ですからそろそろ撤収の時間です。

この先に中板橋駅があります。
「板橋」から中板橋の駅は思いの外遠くて一キロ半というところでしょうか。
時々立ち止まって桜の花を見ながら進みます。

駅に近づいたらさすが中板橋、
非常に賑やかな商店街に迷い込みました。
都内の駅周辺の夕方の商店街はすごい人混みです。
お総菜のお店なども充実していて大変な活気です。

電車に乗っておうちに帰ろう。
結構歩いて疲れてきましたので
早く家でさっき買ったお赤飯を食べたいのでありました。
実際食べたらとっても美味しかったです。

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