水戸



2009年02月13日


水戸
今回は水戸の町に行くことにしました。
折角の祝日ですから
少しは遠出をしてみようと言うことになったのです。
遠出って、それで水戸ですか?
予定よりも遅い出発で家を出たのは朝9時頃でした。
朝早いって言うのに深酒しちゃうんですからね。
JRの武蔵野線朝霞台駅は
高架の上に駅のホームがあって冷たい冬の風が良く当たって
しばらく電車を待っていると
体の芯から冷えてくるようなロケーションです。
凄く寒いです。

それでも休日とあってホームには
大勢の人が電車を待っていました。
寒くとも人が大勢いると何となく耐えられるのは不思議です。
足踏みしながら電車を待つのもまた愉しですな。
愉しくないです。
寒さに耐えてしばらく待ってやっと来た武蔵野線に乗り込んだら
そのまま新松戸まで乗っていきます。
これが約40分ですね。
結構遠いです。

新松戸でJR常磐線に乗り換えるのですが
どうした訳かここの接続が2分しかないんですね。
初めての駅で階段を上ったり降りたり
やっとの思いで滑り込んで大変でした。
どうやら僕たちは遠回りをしてしまったようで
きっともっとショートカットな乗り換え経路が
あったはずだと考えますがそれにしても接続が2分とはあんまりです。
JRに意地悪されている気分です。
ここから我孫子まで乗って快速の水戸行きに乗り換えます。
ここも接続が2分でした。
また小走りの乗り換えをさせられて少々息が切れ気味です。
茨城の人は足が速いのか?
同じJR常磐線なのに我孫子まで行かないと
水戸行きに乗れないんですね。
新松戸駅は常磐線と武蔵野線の交差駅で
乗り換え客が多いはずなのに常磐線は
各駅停車しか止まらないのは何故なんでしょうか。
不思議です。

それはともかく我孫子駅で水戸行きに乗り換えて
水戸線の座席に納まってからが長い長い。
約1時間半の列車の旅でした。
途中の駅で時間調整のため10分近く停車したときに車内アナウンスが
「今からドアを手動に切り替えます。
ドアの近くのボタンでドアの開閉をして下さい。」と言いました。
時々見かけるドアの近くの開閉ボタンは
こういうときに使うのですね。

寒いところ用ドア開閉ボタン
あのボタンはもっともっと北のほうで使う物だと思っていました。
でも折角あるんですから寒いときはドンドン使うべきですね。
山手線なんかでもあのスイッチつけて使ったらどうでしょうか。
時間調整の停車なんかないし。

そんなわけでどんなわけだよ
水戸駅に着いたときはもうお昼でした。

画面中央の時計を見るとまごう事なきお昼なのでした。


水戸駅改札、改札の向こうにはエキュートみたいなコンコースがあります。

まずは最初に徳川博物館に行くことにして
駅の中の旅行案内所に行って市内の地図を頂きました。
バス停やバスの時間も教えて貰ってもう準備万端です。
「徳川博物館はバス停から近いですか?」と聞いたら
「ええ、近いですよ。歩いて15分くらいです。」ってお話でした。
15分かあ。

しかし、今までの経験からして
駅周辺の繁華街から離れるときは
食事を済ませておかないと昼食難民になってしまうに違い有りませんので
ここは水戸駅でお昼を済ませておこうという事になりました。
街に出ても良いのですが駅のコンコースに出店している
スープストックトウキョウに引き寄せられてこちらでカレーを食べました。
スープとカレーで心も体もすっかり温かくなった僕たちは
さっき教えられたバス停に行って偕楽園行きのバスを待って10分
めでたく目的のバスに乗ることが出来たのでした。

旅先でバスに乗るのは楽しいことです。
電車は町中を走りませんし
自分の車では運転中よそ見が出来ません。
歩くのがよいのですがそれでは遠くには行けません。
偕楽園は駅からは遠いので今回はバス利用です。
バスは驚くほど狭い道を縫うように走って
常磐神社前と言うところで僕たちをおろしました。
常磐神社は偕楽園に隣接した神社ですのでこれで良いわけですね。
ところがこのバス停は
小生が思っていたバス停とは一つずれたバス停だったので
その後のオリエンテーションがつかずにだいぶん苦労しました。
鳥居と駐車場とトイレが三点セットで揃っていれば
地図のこの場所に着いたなって思いますよね。
初めての場所ですからね。
おまけに曇天で方角が分からないわけです。

それでもややしばらく歩いて地図上の自分たちの場所を発見して
方角を定めて徳川博物館を目指しました。
寒いです。
今年もまもなく水戸の梅祭りだそうで
偕楽園の梅の花も早くも二分咲と言ったところです。
今年の梅は例年よりも早いそうで
それを知ってか偕楽園周辺の道路は車が沢山走っていました。
シーズンになったらどれほど混雑するのか想像もつきません。

僕たちの少し前を初老の夫婦が歩いていました。
僕たち同様道に迷っていたらしくて
通りがかりの地元の人とおぼしき女性に道を尋ねている様子です。
あの風体からしてきっと徳川博物館の客です。
歴史好きの亭主に奥さんが仕方なくつきあっているという構図ですね。
奥さんがかわいそうですね。
じぶんちはどうなんだ


おおこれが徳川博物館。
長い上り坂に苦しめられて徳川博物館に到着したころは
息が上がっているのにすっかり体も冷えているという
かなり体に良くない状態になっていました。
暖かい博物館の館内に入ったら
今まで体が我慢していた鼻水が堰を切ったように出てきました。
ひとしきり鼻をかんで体が落ち着いてから館内の見学です。

博物館は水戸徳川家の歴史を
余すところ無く見学者に伝える優れた博物館でした。
特に義公と呼ばれた徳川光圀、
烈公と呼ばれた徳川斉昭について興味深かったです。
博物館を堪能した後またあのバス停まで歩くのは面倒になりました。
それで博物館に門前にあった
タクシー会社に行ってクルマで町に戻ることにしました。

運転手さんにお願いして東照宮前でおろして貰いました。

東照宮階段。登り切ると東照宮の世界が広がります。
やっぱり水戸は徳川家だから権現様の東照宮があるんですね。
東照宮は小高い山の上にひっそりとありました。

水戸東照宮本殿。

これで小生は日光の東照宮と
上野の東照宮と水戸の東照宮に行ったことになります。
そのうち久能山の東照宮にも行ってみたいものです。

お山を下りて道に反対側の弘道館を目指します。
弘道館は徳川斉昭が幕末に立ち上げた藩校ですね。
昔は17町歩という大変な広さだったそうですが
その一部を今に残して公開しているわけですね。

橋下知事だったらこういう不経済な施設は壊しちゃうんだろうなと思いました。
弘道館の敷地にはいると砂利の敷かれた
広々とした廷内に梅松桜などの木々が植わっています。

弘道館の広大な建物。学校だものね。
特に今年は気の早い梅が結構咲いていて楽しめました。
建物に上がると周囲を巡らせた廊下に沿って
館内を隈無く見学出来ます。
学生達が使ったものか厠や湯殿までも見学出来ます。
順路の途中には斉昭の書いた潜水艦の設計図や手紙、
藤田東湖の肖像や書などが展示してあって
いやもっといろいろあったでしょ。
興味深かったです。

藤田東湖という人は偉い人だったらしいですね。
西郷隆盛の思想に大きな影響を与えたそうですから
幕末から明治の時代の流れは
藤田東湖の思想に近い形に落ち着いたのでしょうね。
安政の大地震で死んだのだそうでもったいないことでした。

弘道館を出たところで小粒の雨が降ってきました。
幸い弘道館と駅はすぐ近くでしたので
ほとんど雨に濡れることもなく駅舎にたどり着きました。

やっぱり水戸と言ったら黄門様ですよね。

駅の中でどら焼きだの栗まんだの買い込んで
これを自分たちへのお土産にします。
帰ったらこれでお茶を飲もうという計画ですね。
僕たちも歩き疲れたことですし今回はこれで帰路についたのでした。
徳川博物館、東照宮、弘道館、
考えてみると全て徳川家由来の物ばかりでした。

この次に来たときには偕楽園や常磐神社、
東湖神社なども見てみたいと思いますね。
ってこれも全部徳川関係じゃないですか。

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