武相荘と西山美術館




2008年09月14日


武相荘と西山美術館
神奈川県の町田市に「武相荘」という建物があるというので
見に行くことにしました。
この「武相荘」は白州次郎氏、白州正子氏と言うご夫婦の
お住まいだったところだという話です。
人の住まいを見ても仕方がないのですが
偉い人の暮らしたあとを見るのは町歩きの定番ですから。

併せて近くにあるという西山美術館にも行ってみることにします。
ガイドブックによるとロダンとユトリロの美術館という話ですから
是非押さえておきたいところですね。

更に西山美術館の近くには
町田市立の自由民権資料館があると言いますから
こちらもちょっと寄ってみることにします。

うちの方から町田に行くのには
東上線、山手線と乗り継いで新宿から小田急線に乗る行き方と
武蔵野線から南武線に乗り換えて
登戸で小田急線に乗る行き方とがあります。
後者の方が時間の節約になりそうなので
今回は武蔵野線を利用することにしました。

南武線に乗るためには
武蔵野線の終点府中本町駅まで行きます。

府中本町駅橋上。ここは府中競馬の町でもあります。これから南武線に向かいます。

小生は西国分寺までは良く乗りますが
府中本町まで乗ることはまれです。
南武線に用がないのですね。
しかし乗ってみると神奈川方面に行くのには
きわめて便利な路線でありまして
登戸や川崎に行くのには欠かせない線なのですね。
電車は上手に使えば多くの可能性があるものです。

JR登戸駅は通路で小田急線登戸駅と結ばれています。

日曜日にもかかわらず大勢の人が連絡通路を歩いていました。
流石登戸は大都会です。

JR登戸駅は駅のホームなどに
南武線らしいくすんだ感じの年代が付いている駅ですが
乗り換えの小田急線の登戸駅は
ずいぶん近代的な駅で未だ工事中の部分も含めて
真新しい感じがします。

なんだか新しい小田急線登戸駅ホーム

いくつかの駅を通り過ぎて鶴川駅に到着します。
鶴川駅の通路は良い感じに郊外の駅の雰囲気です。

見慣れない風景が遠くに来た気分にさせてくれます。
まるで旅行しているような気持ちになれるのは
郊外散策の楽しみですね。

ここは町田駅に着く前の駅ですが
今回の目的地はこの駅からアプローチします。
町田駅界隈は次の機会に譲ります。

鶴川駅に着いた時点で既にお昼時でしたので
どこかでお昼を食べることにしました。
ガイドブックで目をつけておいた武相荘のそばの
お寿司屋さん「六山」に寄ることにしました。
新鮮なネタのお寿司はとっても美味しくて
この辺通ったらまた来たくなるお店でありました。

美味しいお寿司に満足して張り切って先に進みます。
そうすると呆気ないくらいすぐに武相荘入り口に到着します。

武相荘の門から内部を覗く

武相荘と言うのはここに住んだ白洲次郎氏が
武蔵の国と相模の国の境にあるこの庵を
自分の無愛想にかけて名付けたものらしいんですね。
実際この地区は武相と呼ばれることがあるようです。

ところで武相荘の白洲次郎氏は1902年の生まれながら
裕福な父の援助を得て若くしてイギリスケンブリッジ大学に留学して
彼の地で自由奔放に過ごした
明治時代のお金持ちの遊び人だったわけですね。
当時のヨーロッパの町を
自動車で走り回っていたというのですからたいしたものです。

途中父親の破産で帰国を余儀なくされますが
その有能さと持ち前のやんちゃが評価されて
吉田茂の側近としてGHQと交渉したり
(日本国憲法の成立に深く関わったわけです)
東北電力の社長を務めたりしたそうです。
凄い人がいたものですね。

奥様の白洲正子さんは1910年生まれの樺山伯爵のお嬢様で
アメリカのハーリッジスクールに留学していたのだそうです。
薩摩人由来の貴族の出身なわけですね。
文学、骨董に造詣が深かったというお話です。
要するにお金持ちと貴族のカップルだったわけですね。
それはそれでありそうな話ですね。

庭から見た武相荘

流石に武相荘の内部の調度は趣味が良くて
今から60年前の姿を再現したリビングルームは
現在のお金持ちもきっとこうだろうと思わせる充実ぶりでした。
普通リビングにVOGUEや英字新聞なんか置いていないですよね。
ねぇ、置いてないって言って。

60年前のウルトラハイカラさんの毒気に当てられて
武相荘を後にします。
次の目的地は西山美術館ですが徒歩で行くには遠すぎますので
バスで行くことにします。
鶴川駅からバスに乗って約10分綾瀬入り口のバス停で降ります。
そこから歩いて2分です。

バス停を降りて驚いたのはバス停のそばの壁に
西山美術館のポスターが何十枚もべたべたと貼ってあるのです。
それも全部同じポスターです。
べたべたなんですか?もうべたべたです。はっきり言ってセンスを疑います。

気を取り直して西山美術館に近づきますと
なにやら黒塗りの厳めしい和風の門があります。
門は古くはなくて最近建造のものと推測されます。
ここから急な坂がありまして訪問者の美術館への想いが試されます。

画面右奥にとっても急な階段があります。
途中からショートカットの石段がありまして試しにこちらを使ったら
これがきついきつい、お寺に良くある「男坂」ってやつですね。
登らなきゃ良かったです。

きつい階段をやっとの思いで登り切って西山美術館前の広場に出ます。
振り返ると鶴川の町が眼下に広がって思いがけない爽快感です。
この感じは何だろうと思ったら登山の後の達成感に近いのですね。
いやほんとそのくらい急な階段だったんです。

西山美術館玄関。「考える人」なかにもう一つあるんですぜ、どっちかはレプリカかな。
西山美術館は近代的な建物に
いくつもの展示室を擁した素晴らしい美術館でした。

2階に上がって数点のロダンを鑑賞すると
喫茶コーナーが僕たちを待っていました。
こちらではマイセンのコーヒーカップで
美味しいコーヒーがいただけるという話です。
ケーキとセットでお願いすることも出来ると言うじゃないですか。
そういえばちょっとお腹が空いたかも、
と言うことでこちらで一服していくことにしました。
美味しいコーヒーを飲んで英気を養った僕たちは次に進みます。

3階のロダンの展示室には「考える人」をはじめ
いくつものロダン作品が置いてあって
出世作の「鼻のつぶれた男」などの名品も見られました。
これだけ多くの塑像作品に囲まれると
なんだか国立西洋美術館にいるような気分です。

ロダンに後ろ髪引かれながら先に進みますとユトリロの部屋です。
ロダンの素晴らしい彫像群もさることながら
ユトリロの部屋の圧倒的なコレクションには驚かされます。
以前銀座のデパートでユトリロ展を見たことがありますが
あの展覧会に負けないくらいの素晴らしい展示でありました。
これ程ユトリロが充実しているところは
ほかにはないのではないかと思いますね。

ユトリロは若いときからアル中でした。
またユトリロは恋多き母親とお金が好きな妻に搾取された
女運に恵まれない人生だったと聞きます。
母に妻に何枚も同じ絵を描かされたユトリロですが
その絵の人気は衰えなかったそうです。
ユトリロの絵は小生も大好きで高価で買うことは出来ないので
こうして美術館で鑑賞するわけですね。
そのうちレプリカを買いましょう。

ユトリロの世界を満喫して大満足の僕たちは
西山美術館を辞して帰路につくことにします。
帰りのバス停の近くに自由民権資料館があります。

こちらは明治維新以降の民権運動の高まりを
多くの資料を展示して見るものに伝えようという資料館ですね。
生活の困窮した困民党と連携した民権家が時代が下るにつれて
良い悪いは別にして思想に勝る民権家が
困民党と乖離していく様子などが興味深かったです。
理想主義が現実に追いついていかないと言うわけですね。

一通り見終わって資料館を出てすぐ前のバス停でバスを待っていたら
資料館の職員が僕たちに「ありがとうございます」と挨拶をしながら
門扉を閉めていました。
僕たちがその日最後の客だったようです。
思えば今回も良く歩きました。
鶴川駅までバスに乗って来た道筋をそっくりたどって
家に帰り着く頃にはすっかり疲れてしまった僕たちなのでした。

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