大宮氷川神社



2008年06月15日


大宮氷川神社
筆者は若い頃大宮市(現さいたま市)のはずれで
仕事をした時期があります。
勤め先の宴会で駅近くの南銀に遊んだこともあります。
そのほかにもいろいろな用事で
幾度となく大宮を車で通過しました。
ですから大宮については親しみを持っております。
でも小生気づいたんです。
「大宮は南銀以外のところをほとんど歩いたことがない」のです。
それで今回は大宮の駅を降りて駅周辺の街を観察した上で
有名な氷川神社まで遠征してみることにしました。

大宮駅の改札口が人があふれて大混雑でした。

その人混みの迫力はまるで東京の新宿とか池袋にいるようです。
橋上駅のコンコースには
「まめのき」と言う待ち合わせ場所が作られていて
多くの人がまめのきモニュメントの下で待ち合わせの風情でした。

コンコースから階段を下りて大宮駅東口の街におります。
家人によるとこの通り周辺の地域こそが
昔からの大宮の中心街であると言うことです。
その話を裏付けるように近くからは
一番街の看板も誇らしく高い天井に覆われた
一大アーケードが北に延びています。
一番街は今も老舗が多く営業していて
古くからの顧客に愛されている様子が見られます。
他方で昔西武だったところが今はLOFTと名を変えているなど
栄枯盛衰も感じ取れます。
まあLOFTも西武みたいなものですけどね。
西武ではやっていけなかったと言うことですね。
ちなみにLOFTは大混雑でありました。
一番街を抜けたところで美味しそうな寿司屋さんを見かけました。

安くておいしい鮨政さん
ランチタイムの「にぎりずし」や「ちらしずし」が
味噌汁付きで820円と書いてあります。
「いいんですかぁ?」と言うお値段です。
お腹も空いていたことですし
このまま氷川神社に行ったら
きっといつものように昼食難民になってしまうに違いありません。
820円というお値段に期待と不安を持ちながら
「えいやっ!」とドアを開けたら
広くはない店内のカウンター席が一杯です。
何となく安心しますね。
かろうじて開いていた端っこの席二人分に座って「にぎり」を頼みます。
注文してすぐに「にぎり」が目の前に置かれます。
そしてこれが美味しいのです。
どうやらここの寿司屋さんは
早い、安い、うまいがコンセプトのようですね。
量も十分で僕らには少し多かったです。
やっとの思いで食べ終わると
玄関付近に次のお客さんが並んで待っています。
お茶を飲むのもそこそこに席を立って会計を済ませます。
いささかせわしないところも含めて
これは牛丼の全国チェーンと同じなのだと思い至りました。
お寿司界の吉○家ですね。

お腹も一杯になって追い出されるように店を出た僕たちは
のんびりと氷川神社に向かいました。
途中でその昔胃カメラを開発した
東大の宇治医師ゆかりの宇治病院があります。

名門「宇治病院」
胃ガンの早期発見を目指して
胃の内側から胃壁を見るという発想は驚くべきものです。
若き宇治医師はこの発想をオリンパス光学に持ち込んで
柔らかい管に小さなカメラを装着して
胃まで飲み込むという機械を開発したのです。
いわゆる胃カメラですね。
なお胃カメラはその後進歩して
グラスファイバーを使った胃内視鏡になりカメラは手元に来て
検者が撮りたい写真を見ながらとれるようになりました。
現在はさらに進んで小さなデジカメが先端部に内蔵された
電子内視鏡になっています。
画像は検査室の大きなモニター映って
検者も被検者も一緒に見られるようになりました。
一部ではカプセル内視鏡というものも使われているようですが
これはまだこれからの機械ですね。
ともあれそれらの一連の胃内視鏡の進歩のきっかけを作ったのは
紛れもなくこの宇治病院の宇治達郎先生その人だったわけですね。
先生は残念ながら昭和55年に他界されました。

そこからさらに進むと朱色に塗られた大きな鳥居が見えてきます。

参道の半ばにある二の鳥居
我々は参道の半ばに達したのです。
大宮氷川神社の参道は非常に長くて
一の鳥居から本殿までの距離は二キロに及ぶと思われます。
この神社は長く武蔵の国第一の神社としての地位を
保ったので大宮と呼ばれたらしいです。
その長い参道は往年の繁栄の名残ですね。
我々はその長すぎる参道の三分の二をパスして
残り三分の一だけを歩いたわけです。
そんなに長いなんて知らなかったんです。

僕らが最初にくぐったのはどうやら二の鳥居でありまして
ここからの参道だけでも十分に長いです。
きれいに掃き清められた砂利道の参道は
非常に気持ちがよいものです。
参道の両側には広い敷地の住宅が建ち並んで
高級住宅街を形成しています。
途中、参道に面したお団子屋さんがありました。
さっきお昼を食べたばかりですがお団子も魅力的です。
誘惑を振り切ってさらに進みます。

参道の終わり近い三の鳥居
やっと三の鳥居を過ぎてもまだ参道が続きまして
遙か向こうに赤い橋が見えてきます。

緑に埋もれた神橋と楼門が近寄りがたい威厳を感じさせます。
湾曲の強い小さな橋ですが場所柄か近づくとともに神々しく見えてきます。
この神橋と呼ばれる紅い橋を渡ります。
これと同じ名前の橋が日光にありますね。
この橋を渡ると楼門と呼ばれる神社の門があります。
今までのは鳥居ですから門とは違いますね。

この楼門をくぐるといよいよ神域です。

神域には舞殿、拝殿、社殿が建っています。
社殿は拝殿の奥にあってよく見えません。

楼門と拝殿の間に建つ舞殿
舞殿は神様に舞を奉納する際に使われるそうです。
舞殿を回り込んで拝殿に進もうとしたら拝殿から
お宮参りと思われる20人ほどの一団が出てきました。
そのずいぶんな大人数に驚きました。
我が家にも息子がいますがうちのお宮参りは
近くの氷川神社で赤ん坊と僕たち夫婦、
それにそれぞれの母親で合計五人の簡素なものでした。
そのことを懐かしく思い出しました。

参拝者はここ拝殿でお賽銭を上げます。
人が引けたのを見計らって僕たちは拝殿に進んでお賽銭を上げます。
見ると拝殿の中には厄除けに来たと思われる人たちが
なにやらご祈祷を受けている様子です。
思わず厳かな気持ちになって筆者も頭を垂れて熱心に祈りを捧げました。

境内でボランティアさんがお茶のサービスをしてくれていましたので
これを一杯頂いて喉を湿します。
少し休んで元気が出ましたのでこれから
「県立歴史と民族の博物館」に向かうことにします。
楼門を出たところから脇にそれるとそこはもう大宮公園ですので
豊かな緑の中に大勢の子供たちが遊んでいます。
さっきから聞こえてくる音楽が気になってそちらに進んでみると
どうやら「県営大宮公園野球場」で試合があって
その応援合戦の声らしいんですね。
その隣にはきれいなサッカー場「NACK5スタジアム大宮」もあって
こちらもなかなかの応援です。

ちょうど高校サッカーの試合をやっていた「NACK5スタジアム大宮」
野球場は部外者は入れないみたいで残念でしたが
野球観戦の時間もありませんので入れてもらえなくてもかまいません、別に。

その代わりに(代わりに?)「大宮公園小動物園」を発見しましたので
「子供がいたら絶対ここ入るよね」などと言いながら
するすると吸い込まれて猿や熊やハイエナの檻に魅せられて
とうとう一回りしてしまいました。
だって無料だったんです。
その隣には遊園地もあって(遊具は有料だけど)
ここはもう子供たちの楽園ですね。

流石に遊園地では僕たちは立ち止まりませんでしたが
小さい子供連れの人は長い時間そこにとどまっているようでした。

「県立歴史と民族の博物館」は大宮公園の最奥にあります。
大きなボート池を迂回して行くと
ジョギングに汗を流す人と多くすれ違います。
アップダウンもかなりあって
ここを走るのは大変な運動だろうと思いましたですね。
見上げたものです。
博物館に着くとその規模の大きさに驚かされます。

埼玉県の誇る「県立歴史と民族の博物館」
埼玉県の先史時代からの歴史について事細かに展示されていますので
歴史ファンの人には面白い博物館だと思いますですね。
もちろん筆者のような無知の人も楽しめるようになっていますので
大宮公園にお出での際は是非お立ち寄り下さい。
ところで博物館にはいるとすぐに僕たちを無知の人と見抜いた初老の紳士が
つかつかと寄ってきてボランティアガイドをしてあげようというのです。
今から6年前にも長野の真田記念館でも
ボランティアの学芸員に説明を受けたことがありましたが
今回もまたガイドさんがついたわけですね。
やっぱりタダという言葉に弱い小生は今回もお願いすることにしました。

ガイド氏の説明は非常に詳しいものでした。
特に古墳時代のことについて微に入り細を穿つ
ほとんど研究者のレベルのお話を伺えました。
僕たちはもしかしたら凄い人の講義を受けたのかも知れません。
筆者達は生まれも育ちも埼玉県の人間ですが
これ程詳しくは埼玉県のことを知りませんでした。
ただ、一度にあまりにも沢山のことを説明されたので
ほとんど頭に残りませんでした。
(もうちょっと頭が良かったら良かったのに)、
いつもそう感じるのであります。

博物館を出る頃には僕たちはすっかり疲れていて
さっきから気になっていた氷川団子に寄り込んで
団子とお茶のセットを頂いて再び疲れをいやして帰路についたのでした。

大宮の駅で横川の釜飯を発見して
これを夕食に充てることにしました。
「大宮から家まで釜飯を運ぶのはやっぱり重い」
と家人がぼやいていました。
持ってやれよ、自分。

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