根岸



2008年04月13日


根岸
今年は思いのほか寒さが長引いております。
最近はすっかり寒さが苦手になっておりまして
町歩きでも少し無理すると後にひびく体質になってしまいました。
年をとると気候に敏感になるのですね。

それでも4月も半ばになりどうやら暖かくなって参りましたので
冬のあいだ休んでいた町歩きに出かけてみることにしました。
先日言問団子さんの店内で購入した
「東京下町散歩」に載っていた根岸方面の散策です。
根岸は小生未踏の地であります。

いつものように昼食をとってのんびりと家を出ます。
暖かくなったから出かけたはずですが
なんだか今日は寒いようです。
「2月に比べれば暖かいよね」などと慰め合って歩き始めます。
2月と比べること自体おかしいです。
電車の中は暖かくてうとうとしながら鶯谷の駅に着きます。

鶯谷駅北口

鶯谷の駅を出てすぐのところを走る太い道路は言問通りです。
この道をまっすぐ行けば
例の言問団子の店のすぐそばに行く訳ですね。
なんだか不思議です。

地図をたどって「ねぎし三平堂」に到着します。

控えめだけどこぎれいな「ねぎし三平堂」

小生は小学校低学年の頃から落語が好きで
自分専用のクラウンの六石ラジオを買ってもらって
毎日ラジオ番組表をチェックしてラジオ寄席の類は
欠かさず聞いている子供でした。
小生の家はテレビがありませんでしたので
その分ラジオが最大の娯楽だったのですね。
その僕にとっては
林家三平師匠は大変懐かしい名前なのであります。
不思議な華のある落語家さんでしたね。

入堂料600円を払って二階に上がります。
三平堂の館内は想像以上の素晴らしさでした。

三平師匠が愛用していた遺品がいっぱい

生前の愛用の品々や数多くの台本などが所狭しと展示されて
これならば三平師匠を知らない人が見ても
三平師匠の人となりを想像できるくらいでありました。
なかでも懐かしい渡辺の即席しるこに
ほとんど感動に近い懐かしさを覚えたのでした。

懐かしい「渡辺の即席しるこ」
お餅も入ってべたべたと、5人で飲んでも50円、安くてどうもすいません。

また大画面テレビが生前の高座を一席見せてくれるようにもなっていて
三平ファンにはたまらない仕組みです。

源平盛衰記を熱演。落語は名人とはいえませんでしたね。

さらに大きくはありませんが高座も設けられて
時々ここで落語が演られるようです。

三平さんの高座を見ているようです。

すっかり「ねぎし三平堂」に長居をしてしまった僕たちでしたが
DVDの「源平盛衰記」が終わったのを汐に
三平記念館を出ることにしました。
名残惜しい気もしますがほかにも行きたいところがあるじゃないですか。
出口のところで木札にひもをつけたキーホルダーが売っていました。
木札に「どーもすいません」とか書いてあるんです。

裏にはねぎし三平堂と書いてあります。
これを一つ求めて楽しかった「ねぎし三平堂」を後にします。

外に出ると小雨が降っていました。
少し歩いて正岡子規の住居を復元した「子規庵」につきます。
筆者は俳句は不調法ですが正岡子規には興味があります。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」の中に正岡子規は幾度となく登場して
明治の日本軍の立役者の秋山兄弟との交流や
友人の夏目漱石との松山での共同生活などを
見てきたように描かれています。
自然と正岡子規にも興味を持つようになった訳ですね。

数年前に松山に遊んだ際に
道後温泉そばの「子規記念博物館」を見学
その見事な構成で正岡子規の人となりを
いくらか理解したような気がしました。
いやもちろん誤解ですけど。
更に松山市駅そばの「子規堂」も見学してもういっぱしの子規通です。
だから違うってば。
これでこの上根岸の「子規庵」まで見たらもう、凄いです。

そんな小生の勘違いをよそに「子規庵」はひっそりと建っていました。

静かな雰囲気の子規庵

そのひっそりぶりはあまりにも自然で
地図がなかったら通り過ぎてしまいそうです。
本物の持つ自然さですね。
玄関のガラス戸を開けると子規庵保存会の女性が
優しく僕たちを招き入れてくれます。
入場料500円を払って座敷に上がります。
建物の中は子規の世界そのものです。

でもそれは思いこみだったんですね。
聞けば最初の子規庵は子規の死後
大震災で傾いた建物を改築の後、今度は空襲で消失、
現在の子規庵はその後再建したものだそうです。
昭和25年に再建したそうですから筆者よりも三歳年上であります。
まだ若いじゃないですか。
にもかかわらず子規庵は子規が
そこにいたんじゃないかと思うくらいに建物が草臥れていて
これが狙った通りならこの大工さんは素晴らしい腕と言えると思いますね。
適度な安っぽさが本当に子規が住んでいたと思わせるに充分です。

残念ながら写真撮影は禁じられておりましたので庵内の写真はありませんが
明治後期の安普請の二軒長屋だと思えば想像もつくというものです。

子規庵の敷地内で子規庵限定
木札の携帯ストラップを売っておりましたのでこれを一つ購入
似たような木札をまた買ってしまいました。

子規庵限定携帯ストラップ
ただ三平堂のものと比べるとこちらはだいぶん小さいです。

子規庵を離れて駅方面に戻ります。
この界隈はいわゆるラブホテルが林立していていささか困惑します。
小生たちのような中年の二人がラブホテル街を歩いていると
なんだか怪しい雰囲気が周りを包みます。
すれ違う人が皆無表情なのもかえって気になるという具合です。
足早に立ち去ろうとするのもまた怪しく思われそうで
もうどうして良いかわかりません。
誰も見てないってば。

やっと言問通りにたどり着いてこの道を東に進みます。
言問通りをしばらく浅草方面に歩くと
浅草に着きます。いや、違います。
浅草に着く前に「鬼子母神」というお寺に到着します。

これがあの入谷の鬼子母神

子供時代、父と将棋を指しているとき
窮地に追い込まれると
「懼れ入谷の鬼子母神」とつぶやいていたことを思い出します。
「入谷の鬼子母神」一度見てみたかったんです。
鬼子母神は最初は悪神だったものがお釈迦様にオルグされて
善神に生まれ変わったものなのだそうです。
更正したんですね。
元は子供を取って食べる神だったものが
子供を救う神に変わったのだそうですから大したものです。
そのため境内の絵馬は
「元気な子供を授かりますように」みたいなのばかりでした。

鶯谷の駅は変わった構造の駅でして
南口の駅舎からホームまで長い通路があります。

線路を見下ろす丘の上にある鶯谷駅

今回は鶯谷駅北口から出発して
街を横断して鶯谷駅南口に至るコースとなったのでありました。

鶯谷駅南口

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