八王子と青梅



2007年08月18日


八王子と青梅
夏休みももうじきおしまいですので
映画の看板が町中に張ってあるという青梅に行ってみることにしました。
うちの方からは武蔵野線を使って西国分寺から中央線に乗り換え
少し電車に乗ればいけそうですのでお手軽町歩きというわけですね。

ところが僕たちは立川で乗り換えなければいけないのにそのまま行き過ぎて
誤って八王子まで行ってしまいました。
すぐに立川に戻って予定のコースに沿って青梅に行くか
八王子から拝島に出て青梅に行くコースに修正するかを
考えなくてはいけないみたいです。
とりあえずホームの階段を上ってコンコースに出た僕たちは
八王子の駅の人混みに魅了されました。

活気のある八王子駅
予定があってなきがごとしの僕たちの町歩きですので
八王子の駅に降り立ったことのない僕たちは
おもしろそうなのでそのまま八王子の町に出ることにしたのでした。
なんて無計画な夫婦なのでしょう。

駅を出ると目の前にTOKYU SQUAREと大書されたビルを見ます。

かっこいいTOKYU SQUARE
なんだか新宿の高島屋TIMES SQUAREと似た印象を持つのは偏見でしょうか。
新宿のTIMES SQUAREだってNYCのそれの真似っこですけどね。

八王子の町にはたくさんの大学があります。
そのためか若者が多い活気のある町と言う印象でした。
夏休み中でしたので普段はもっと人が多いのかもしれません。
八王子は近隣市町村のニーズを満たす役割も果たしているようで
駅周辺の繁華な町並みは地方都市の風格も漂わせていました。
言い換えればそごうや京王百貨店や東急を擁するばかりでなく
充実した地元商店街を持つ厚みのある町なのであります。

町は道が広々としていて気持ちのいい町並みでありました。
町の一角にシャーロックホームズと書いたパブを見かけました。

きっとイギリスにあるようなパブ
こんなところで飲んだら楽しいだろうなと思わせるお店でした。

お腹がすいたので八王子の駅ビルで昼食をとることにしました。
今回は大好きな「うなぎ」を食べることにします。
そうしたらこれが出てくるのはおそいは味が濃いはで
なかなかお昼を選ぶのは難しいものです。

悲しく満腹になったお腹をさすりながら
僕たちは気を取り直して青梅に行く電車に乗りました。

八王子は立川からは日野豊田八王子で三つ目の駅ですけれど
青梅は西立川東中神中神以下略で12個目の駅です。
ずいぶん奥の方なんですね。

青梅駅ホーム
青梅の駅はあちこちに意匠が凝らしてありました。
駅名の看板も渋いし駅のホームのおそば屋さんの建物も
時代がかっています。

画面右の建物はおそば屋さん
町に出るとその傾向はさらに強く
市街の建物のあちこちに昔の映画の看板が掲げてあります。

俺たちに明日はない

劔雲白鷺城、ターザンの逆襲

丹下左膳、ヘッドライト、他

ある愛の詩


フーテンの寅、カーテンコール、他

チザム
このように映画の看板が町にあふれているんです。
どの絵もうまいんですよね。
ほとんどの絵は同じ人の署名(板観画)が認められました。

町のなかに赤塚不二夫さんの記念館がありまして
僕のような昔からの漫画ファンにはたまらない博物館でした。

青梅赤塚不二夫会館
赤塚不二夫さんは昔映画の看板を描く仕事をした時期があるそうで
それでこの町の映画看板町おこしに共鳴して協力したらしいですね。
なおWikiによると赤塚不二夫氏は現在病気療養中であるとのことです。

記念館の二階には漫画家の梁山泊のときわ荘のことなどが語られていて
たまたま現在藤子不二夫A氏の「まんが道」を読んでいる僕としては
ここから帰りたくないほど興味深いものでした。

ときわ荘界隈地図
そういうわけで青梅の町が(と言うより赤塚不二夫会館が)
すっかりツボにはまった僕にはとっても楽しかったのですが
歩き回って疲れてしまったのも事実です。

来るときの電車ががらがらだったので帰りの電車に座って帰れると思って
駅のホームでのんびり電車を待っていたら
奥多摩方面からカラフルな電車がやってきました。

奥多摩から帰ってきた列車
そこから降りてきた大勢の乗客が
ホームに列を作って並んでいるではありませんか。
気がついたときにはもう遅くて
たちまち滑り込んできた新宿行きの急行電車に
どやどやと乗り込んだ彼らにすっかり座席を奪われてしまったのです。
彼らが来るずっと前から僕たちはホームのベンチで休んでいたのに
奥多摩からの列車に接続する電車が来るなんて想像していませんでした。
返す返すも無念なことでありました。

ところで彼らは60歳くらいの初老の人たちで
いくつもの小集団の集合体のようです。
今はあの年代の人たちが元気ですね。
どう見ても小生の方が年下ですが
皆さん運動靴にリュックサックという出で立ちで元気いっぱいです。
ハイキング客恐るべしですね。

僕たちはただ吊革につかまって西国分寺で乗り換えて
今度は武蔵野線のつり革の友となってやっとの思いで帰宅したのでありました。

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