京都日帰り




2000年12月23日


京都日帰り
うしろだは埼玉県南部のある町に住んでいます。
いわゆるベッドタウンですね。

ですから東京には出て行きやすいんですが
大阪や京都や奈良など関西はちょっと遠いんです。
それでも京都は好きなので時々行きたくなります。
宿泊費が高いので新幹線で日帰りをやってみることにしました。
以前に平泉日帰りを敢行したことがあって
一度京都もやってみたかったんです。

んで、日帰り京都です。
京都に着いてまず最初に宇治の平等院に行きました。
僕は以前から平等院に行きたかったのですが
交通の便が今ひとつな場所なものでなかなかチャンスがなかったのです。
今年の6月に東京国立博物館でやっていた国宝平等院展を見てから
ますます本物を見ておきたくなっていたのです。

JR奈良線は京都駅のはじっこにありました。1時間に4本でした。

JR奈良線
ゴトゴト30分かけて着いた宇治の街には
宇治茶の香りがそこかしこにしていて
宇治の街を平等院の街のように考えていた自分の不明を恥じてしまいました。
宇治の街は宇治茶の街でもあったのです。
宇治のお茶の香りにうっとりしながら平等院の参道を歩いたのでした。

平等院は予想以上にすばらしい建物でした。
あの均整のとれた美しさは他ではなかなか見られないレベルだと思います。

美しい宇治平等院
とんぼ返りに京都に帰った僕たちが次に行ったのは
石庭で有名な竜安寺です。
非能率的な巡り方ですが
行きたいところをピックアップしたらこうなっちゃったんです。
そのあと僕たちは芝の増上寺の総本山でもある知恩院に行きました。
以前から巨大な三門に興味があって行ってみたかったんです。

知恩院参詣のあと
僕はかねてから行きたかった方広寺に行くことにしていました。  
方広寺には例の「国家安康」「君臣豊楽」の字句があることを理由に
家康が豊臣を滅ぼしたきっかけになった鐘があるんですね。

知恩院から乗ったタクシーの運転手さんが妙に方広寺に詳しい人で
僕たちが方広寺に行きたいと言ったら喜んでしまって
非常な早口で(半分くらいしか聞き取れない!)
方広寺の大仏の話や豊臣家の話をまくし立てて
方広寺には顔が利くので例の鐘の説明をしてくれるというのです。

そんなわけで鐘の中(鐘のすぐ下)に立たせてもらって
淀君の亡霊など数人の亡霊に会わせてもらう
(内部のシミが言われてみれば人型に見える程度)
など奇異な体験もさせて貰いました。

耳塚というのは秀吉軍が朝鮮を責めたときに
持ち帰ったあちらの戦死者の鼻を埋めた塚なんですね。
いつの間にか耳塚と呼ばれるようになったそうです。
当時のいくさは戦いに勝つとそのしるしとして
首を取ったのですね。(首狩りの風習と酷似していますね)

でも朝鮮からそんなにかさばるものは持ち帰れないので
もっと軽い鼻を持ち帰って殺した敵の数の証拠品としたらしいんですね。
耳塚には今も朝鮮民族の人のお供え物が絶えないそうです。

方広寺のそばにさりげなく五輪の塔が建っています。

耳塚のあとは東本願寺に行ってみたのですが
本堂の畳に座ったとたんにご本尊の扉が閉じられて
今日はもう時間切れであることを知らされて帰ってきました。
午後4時でした。

帰りの新幹線は7時に取ってありましたので
京都の駅ビルを探検してみることにしました。
ちょうど駅ビル内の大階段で
新人のアーチストのコンテストみたいなのをやっていて大混雑でした。

もうすっかり夜になって
大きな広場にクリスマスの飾りが映えてとてもきれいでした。

帰りの新幹線も500系でした。

イスの形状が何となく眠りにくくて疲れちゃいました。
家に帰り着いたら10時半でした。
こういうことが出来る便利さに今更ながら驚いてしまいました。

戻る





戻る