函館小樽




2001年03月16日


函館小樽
北海道と沖縄は日本の中でも他県とは際だった違いを持つ道と県ですね。
北海道なんか道ですもんね。

沖縄はまた別の機会に譲ることにして
今回は家族4人で北海道は函館、小樽に旅することにしました。
だってたまたま安いツアーを見つけてしまったものですから。

横浜、神戸、長崎という風に港町を見てきた僕としては
やっぱり函館を見たいじゃないですか。
港町の函館、坂の街の函館、五稜郭の函館!
小樽だってすごいですよ。
北一ガラス、小樽運河、小樽寿司、オルゴール!
何より9年前に家族で札幌に行ったとき
時間が無くて見に行くのをあきらめた街、小樽!
前から行きたかった街が二つも入ってお買い得です。
さて、
今回は函館空港、函館観光、登別温泉泊、小樽観光、札幌経由新千歳空港
というルートで豪華盛り沢山一泊大名旅行というわけです。
あらかじめ承知している旅程表によると
どうも今回は函館五稜郭は行かない模様、
残念ではありますがツアーなれば仕方のないことであります。

インターネットなどで検索したところによると
五稜郭のお城が残っている訳じゃないみたいだし
城跡だけ見たってしょうがないと思います。
でも城跡は星形してるんですってね、珍しいですよね。
別に面白くないよ、きっと。
ちょっと行きたかったかも。

それで最初に行ったのは
女性だけの修道院「トラピチヌス修道院」でした。
比較的新しい建物になっていてよく整備された庭園が印象的でした。
観光客は庭園と売店にしか入れてもらえませんでしたけどね。

トラピチヌス修道院遠景
修道女エリアなんか塀の上になにやら小さなとんがったものが沢山装備されていて
不埒者の進入を防ぐようになっているんですよ。
なんか性悪説に基づいた設計ですね。

修道女の人たちはあの建物の中で
信じられないくらい厳しい戒律を守りながらストイックな生活をしているという話です。
もしかしたらそんな生活に息が詰まった修道女の人たちが
施設から逃げ出さないように
外に対してだけじゃなくて中に対しても守りを固めているのかもしれませんね。
(な、なんて罰当たりな感想なんだ!)

函館は下田とともに幕末に開国した時の
最初の海港地だそうです。
外国文化が幕末の日本に流れ込む最初の土地だったわけですね。
その意味では横浜や神戸などより歴史が古いわけですね。
(長崎は別格ですね)
海港当時地元の人たちは外国人というのは
どんな人たちなのか非常な不安を持って外国船の入港を待ったのだそうですが
意外にも船員たちは皆気が良くて
あっという間に地元の人たちとなじんでしまったのだそうです。
そうガイドさんが言っていました。
ま、そんなとこでしょうね。

外国船が出入りしたため函館の街は貿易で大変栄えたそうでして
港には沢山の煉瓦造りの倉庫が建ち並んでいます。
いわゆる赤レンガ倉庫ですね。

この中に今風のショッピング街やビアガーデンがあったりします。

この画面の右側は漁港になっていまして
あの、一度は見てみたいと思っていた「烏賊釣り漁船」が停泊していました。
あんまり嬉しいのでつい船主さんに断りもなく一枚写真を撮らせていただきました。

やっぱり電球がいっぱいついていました。

その後僕たちは登別に投宿して翌日は小樽に向かったのでした。
小樽といえば小樽運河と言うくらいに運河が有名ですね。
でも観光用に短い部分が保護されて残っている感じでした。
もっと市内に巡らされているのかと思っていました。

有名な小樽運河
小樽はその昔ニシンで栄えた街で
今も往時の豊かさをしのばせる建物がたくさんあります。
またその雰囲気を残すために
その後に造られる建物もそのように建てているふしもあります。

これで喫茶店なんですからね。観光用ですね。

それでもさすがに小樽は雰囲気のある街で
ほかにもオルゴール館や有名なガラス屋さんなどがあって
もっともっと滞在時間が欲しかった街でした。

小樽オルゴール館
もともと覚悟はしていましたがツアーの旅行は
ともするとスケジュールがせわしなくて
回りたいところが十分に回りきれないうらみがあります。
家族でする旅行はこの次はフリータイムの多いパックを
買うことにしたいものだと思いました。

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