北千住




2006年07月13日


北千住名倉医院
思い立って北千住の街に行ってみることにしました。
筆者は幼児の頃三輪車から落ちて左肩を脱臼して
近所の商店の車で運ばれて志木の接骨院を受診しました。
その後千住の名倉接骨院に通院して脱臼を治療した経験があります。
幼児だった筆者は母におんぶされて
週に一度か二度おそらくは3ヶ月ほど通院したものと思われます。
何せ幼児だったものでよく覚えていないのです。
そのうち症状も改善して通院を終了しました。

そのときの名倉接骨院の印象的な長屋門が永く僕の記憶に残っています。
今回はその長屋門を見たいと考えていました。

地下鉄半蔵門線から押上を経由して東武伊勢崎線に乗り入れて
そのまま北千住に着きます。

大都会北千住の駅

ついてから驚いたのですが
この駅には実に多くの鉄道路線が入っています。
JRの常磐線をはじめとして
東武伊勢崎線、東京メトロの日比谷線、千代田線が乗り入れていて
その上今評判の筑波エクスプレスまでもがこの駅を通るのです。
地下鉄半蔵門線もさりげなく東武伊勢崎線に乗り入れているので
いったいいくつの路線がこの駅に入っているのかもうわからないくらいです。
実にどうも凄い駅であります。

超巨大北千住駅舎

駅前に出てみたら流石に大都会の雰囲気漂う巨大駅前広場がありました。
駅とくっついてルミネと丸井が展開しているのも
都会の駅前の雰囲気を作っています。。
駅周辺は若い女性が沢山沢山いました。

丸井は駅のそば

駅前広場の2階デッキを降りて下の道を歩きます。
少し歩くと宿場町通りという商店街に出ます。

この道は日光街道の旧道なんですね。宿場町の名残を感じます。

この道に沿って北に向かうと名倉接骨院の方角です。
行く道筋には興味深い商店が沢山ありました。

商店街の名が示すようにこの街は日光街道の宿場町だったようです。
いわゆる岡場所でもあったわけですね。
その上この宿場町通りの北端には名倉医院がありまして
ここで治療する患者のためにいくつもの宿屋があったという話です。
凄い話です。

目指す名倉医院についたときは嬉しかったですね。
45年以上前に見た名倉医院の長屋門は懐かしくさえありました。

おお、懐かしの名倉医院

あの門の内側の建物の中の広い座敷で
何人もの施術者が横並びに居て
その前に患者が列を作って施術を待っている光景が思い出されます。
幼児期の記憶ですからきっと間違って居るんだろうな、
と思いながらもはっきりと目に浮かびます。

今も
「医療法人名和会名倉医院」の看板が
掲げられれている事から察すると整形外科とリハビリテーションの医院として
診療が続けられているようにお見受けします。
日曜日でしたので休診だったようです。

駐車場手前から名倉医院を見る。

写真左の黄色い建物は残念ながら記憶にありません。
僕が通院した時代よりも後に建てられたものかも知れません。
自信はありませんけど。

それでさらに進むと荒川放水路の堤に出ました。
堤に登ってみると河川敷の野球場ではおじさんたちが草野球をしています。
なんだかとっても楽しそうでした。
土手から降りてさらに歩くと新しいマンションの一階に
「医療法人社団名倉会千住の名倉整形外科」なる医療機関がありました。

あちらは名和会でこちらは名倉会、ん?

名倉医院はこちらに移ったのかとも思いましたが
医療法人の名前が違うのが解せません。
いろいろ事情があるのでしょう。

名倉医院を後にして日光街道に向かいます。
何となく宿場町の匂いを感じながら日光街道に出ると凄い交通量でした。
流石都内の幹線道路でありまして
日曜日でしたから渋滞はしないものの
沢山の車が途切れることなく走っていました。
あんなに沢山の車がどこに行くのだろうなんて
見当違いな感想を抱いてしまいました。
みんなそれぞれ用事があるのでしょう。

途中から駅に向かう道に入ります。
その道沿いに古色蒼然恐ろしく古びた洋館を見ました。
見ると眼科医院だそうで現在も診療をされているご様子です。

時間が止まったような気分になれる不思議なかっこいい医院です。

そういうわけで
今回も少し電車に乗るとこんなにも違う文化に触れることが出来ることが
再認識できる有意義な町歩きになったのでした。

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