南国土佐




2006年03月01日


南国土佐
二月の建国記念の日に絡んだ連休を利用して
四国は土佐に行ってみることにしました。
やっぱり冬は暖かいところに行きたいですね。
むかし寅さんもそんなこといっていましたね。
今年は「功名が辻」司馬遼太郎の放映の年ですので
土佐は混み合うのではないかと思いますが
小生はもっと前から「風雲児たち」みなもと太郎、
「竜馬がゆく」司馬遼太郎を読んで土佐に行きたいと思っていたんです。
ほんとですよ。
だから山内一豊にも坂本竜馬にも興味があった訳なんですね。

連休の初日朝早く出発した僕は新幹線で岡山の駅まで行きます。
のぞみ43号07時33分発でした。
岡山で在来線南風9号に乗り換えて四国を縦断します。
驚いたことにこの列車はディーゼル機関車で
引っ張る列車でありまして僕は久しぶりに乗りました。

排気ガスが臭かったです。
座れないといやなので指定席を頼んだところ
本日指定席は満席ですという返事でした。
仕方がないので自由席を買ったのですが
出発のかなり前から並んでいないと座れないと考えて
早くからホームに陣取って並んでいました。
しかし予想に反して自由席はがらがらでありまして
これで指定席が満席なんて信じられないくらいです。
見に行かなかったけど。

列車が走り始めるとすぐに瀬戸大橋を渡ります。
いつみても大きな橋ですね。
眼下の瀬戸内海の美しさにも目を奪われます。
ただ風景を楽しむには橋脚が邪魔なんですよね。
橋の強度のためには仕方のないことです。
列車はさらに四国の内陸を走り大歩危小歩危などの
名所を横目に見ながら一路高知に向かいます。

高知の駅に着くと予想以上に混雑した駅でありました。

乗降客で賑わう高知駅改札口。


駅の大きさもかなりのものです。
どうやら高知は僕が考えていたよりも大きな町のようです。

駅について早速昼食をとることにします。
ここに来るまでの間新幹線で軽い朝食をとったほか
お昼時になっても乗り継ぎに忙しくて
お昼の食事をする暇がなかったからです。
さいわい駅にレストランがありましたので
ここで遅い昼食をとることにしました。

店の中はよくあるタイプの町の定食屋さんの風情で
入り口付近には新聞や週刊誌漫画雑誌などが
マガジンラックにおいてあります。
いい味出してます。
ここで僕はカレーを注文しました。
食べ終わる頃僕はカレーを頼んだことを深く後悔していました。
味はおいしかったのですが牛肉と思われる
肉片が入っているのを発見してしまったからです。
外食でも極力牛肉は食べないように気をつけていたのに
こんな初歩的なミスで牛肉を食べてしまうとは!
我が身の不明を呪うばかりです。

その後ホテルにチェックインします。
安いホテルをインターネットで予約をしたのでホテルに着くまで
どんなホテルに泊まることになるのかが不安でありました。

ホテルは予想よりもはるかに良いホテルでして安心いたしました。
ただいくつかの点で僕が今まで経験したホテルには
なかった仕組みがありましていささかとまどったのも事実です。
まず一つは料金が先払いであったことです。
なんだそれって感じですね。
バストイレはなぜか内鍵がかけてありました。
この形式の鍵はコインでこれを外から開けることができます。
部屋の鍵をドアのそばの鍵穴に差し込まないと
室内の電灯が点灯しません。
やっぱり安ホテルのせいでしょうか。

ただこれらの点を除いてはホテルマンの対応といい
翌朝の朝食といい満足するべきものであったことを付け加えます。

一休みしてから高知の町をみて歩くことにしました。
時間はすでに3時半です。
急がなくちゃ、ですね。

高知の町には昔都内で走り回っていた路面電車
すなわち都電が縦横に走っています。
このもと都電が土佐の町を走るので
土電と名を変えて今も活躍しているというわけですね。

土電 in 高知。

これが非常に頻繁に走っておりまして大変便利です。
ぼくはまず駅から土電に乗って上町方面に行きます。
ここで電車を降りて竜馬の生まれたまち記念館を見学します。

竜馬に因んだ展示がたくさんあって興味深かったです。

小さいときからのエピソードがたくさん展示物に含まれていて
展示物に説明のアナウンスが付いていたり
竜馬の声でしゃべったりするので面白かったです。
竜馬の声は聞いたことがありませんがね。
それにしても高知の町は竜馬が大変自慢らしくて
どこに行っても竜馬の写真や絵が飾ってあります。
あれだけの時代の立役者を
この地が輩出したわけですから誇りに思うのは当然ですね。

僕はここから西に一キロほど歩いて
土佐山内家宝物資料館に向かいました。
手元の小さな地図には書いてなかったのですが
土佐山内家宝物資料館は山内神社の境内にありました。

山内神社大鳥居。

神社の大きな鳥居をくぐってすぐ左側に
資料館はひっそりと建っていました。
見ると入り口の看板に
「開館時間は17:00まで、入館は16:30までにお願いします」と
書いてあります。
時計を見るとまさに16:30です。
僕はあわてて受付に駆け寄って
「まだいいですか?一人なんですけど」と
頼み込んで中に入れてもらいました。
無理言って入れてもらったわけですから
急いで見なくちゃいけませんですね。

しかし展示は数は少ないもののなかなかの迫力でありまして
時代を経た本物の迫力を感じます。
使える人がいたとは思えない大きな刀とか
お姫さまたちのお雛様の人形とか
江戸幕府からの土佐安堵の書状とか
乗物と呼ばれる豪華な駕籠とか非常に興味深かったです。
それでも急いで一回りしなくてはならないので
刀もお雛様も安堵の書状も乗物も一瞥してその前を離れました。

どうやら一周して見終わる頃に
初老の団体さんが10人ほど館内に入ってきて
この人たちが実にどうも堂々としています。
ぺちゃくちゃおしゃべりしながらゆっくりと館内を見始めたのです。
入館は16:30までにお願いしますという
資料館側のお願いは無視しているようです。
この光景は僕から見たら彼らはもっと急いで見学すべきだとの
不満の気持ちを起こさせましたが
反面彼らの存在は僕の気持ちにゆとりを与えてくれました。
すでに一回りした僕でしたがこの機に乗じて館内を
もう一周して宝物の数々をじっくり見ることにしました。
やっぱり宝物館と言うだけありますね。
なんと言っても使える人がいたとは思えない
大きな刀に目を奪われます。
刀屋さんの看板だったんですね、あれはきっと。
お姫様たちが愛でたと思われるお雛様も興味深かったです。
何しろ年代物ですので少々傷んではおりましたが
遙か昔の雅の文化の匂いが
お雛様のお顔やお召し物から伝わってくるようです。
京から取り寄せたものなのでしょうね。
徳川家から山内家に下賜された
所領安堵の書状も興味深かったですね。
この書状を家宝として考えているところに
山内家は譜代で地元郷士は外様という
土佐独特の事情を感じてしまうのは考えすぎでしょうか。
少々司馬史観に引きずられているのかも知れません。
大名などの権力者の乗る駕籠のようなものは
駕籠とは呼ばないのだそうですね。
乗物と呼ぶのだそうです。
それは豪華な装飾を施した乗物でありました。
このように装飾を施せば施すほど
これを担ぐ人は大変になるということは考えなかったんでしょうね。
担ぐ人がかわいそうなのでありました。

じっくり見ることができた2週目は僕にとって嬉しいことでしたが
よく考えると今あげたほかにも貴重な宝物が
たくさん展示されていたわけでして
僕は1周目の時に目を惹かれたものを
2周目により時間をかけて見たに過ぎず
この分では何周しても同じものを見て満足しそうです。
興味の幅が狭いのね。
それでも2周目の最後に新たな展示に目を奪われました。
それはなにやら鳥の羽を寄せ集めて槍の鞘にしたようなものでして
参勤交代の時の飾り物だったようです。
記憶を頼りの記載ですので間違っていたらごめんなさいです。
先に謝っておきます。
いいよね、誰も読んでないし。

宝物館の後は山内神社に参拝してここを辞します。
帰り道参道に不思議なものを見つけました。
亀石と立て札のある
長径一メートルほどの亀の甲羅のような形の石です。

不思議な亀石。

きっと面白い形の石だからと誰かが置いていったのでしょうね。
深い意味はないと見た。
間違ってると思います、ごめんなさい。

山内神社から10分ほど歩くと高知城につきます。
高台にある神社から坂を下ると彼方に高知城が見えるのですが
これが近くに見えて意外に遠いのであります。
それでもようやく高知城に到着して門をくぐってお城を見上げます。
お城は美しい建物でありました。
お城に行き着くまでにはここから坂を登らなくてはなりません。
その坂の上り口に自由民権運動の板垣退助像がたっていました。

筆者にとっては百円札の板垣退助ですね。

板垣退助像は量感のある優れた像でありました。

坂を登って天守閣に向かいます。
坂や階段が途中で直角に曲がりながら上につながっています。
敵襲に備えて途中で曲げてあるんですね。
中高年の団体や家族連れが満足げに坂を降りてきます。
家族連れの子供たちは元気に走り回っています。
僕はだんだん息が切れてきています。

やっと城の前に付いたときには僕はもうくたくたでした。
城の前に広場では
アイスクリンや電池やフィルムなどを売っていました。
なるほど、欲しい人がいるでしょうね。

ここに来るまでに精根尽き果てた観のある僕ですが
ここでさらなる不幸に見舞われたのでした。
いや僕だってちょっとは気にしていたのですよ。
もしかしたらそうかもって思ってはいたのですが
その危惧は当たりました。
お城は見学時間に設定があって
この日は時間切れで閉まってしまっていたのです。
後で見たら午前9時から午後5時までの開館だそうです。

閉まるの早いです、高知城。

僕は非常に残念でした。
しかし幸いにも僕はもう一日高知に滞在する予定ですので
明日一番でお城に来ることにしてこの日は転進することにしました。
坂を下っていくと山内一豊の妻千代と馬の像が目にとまります。

あの有名な内助の功のエピソードですね。

お城から出て市内のアーケード街を歩きます。
流石に30万都市の高知市のアーケード街は
人通りも激しくどの店も大変栄えています。

高知市はなかなか元気な町のようです。

そのままアーケードをぶらぶら歩いていくと
その終点近くにあのよさこい節で有名なはりまや橋があります。
はりまや橋は以前は川がなくなったあと
欄干だけが残り見に来た人が落胆する
「日本三大がっかり」と言われたそうですが
平成5年にはりまや橋公園として整備されて
今あるはりまや橋は
昔の本物のはりまや橋の模型のようなものらしいです。

なんだか可愛いはりまや橋。

僕はがっかりなんかしませんよ、昔の写真だって見たことあるし、
平気です。
ちなみに日本三大がっかりとは高知のはりまや橋と
札幌の時計台の二つが双璧で
そのほかに挙げられるものには諸説あり
沖縄の守礼門・長崎のオランダ坂・
京都タワー・名古屋テレビ塔・仁徳天皇陵
などだそうです。
沖縄の守礼門と仁徳天皇陵は見たことがありませんが
そのほかのものは見たことがあります。
それらにあまりがっかりした記憶がないのはどうしたことでしょう。
何を見てもがっかりしないほど感じやすい心があるのか
何も期待していないのかどちらかですね。
前者だと信じたいですけどね。

このはりまや橋脇の土産物屋さんで
土佐名物の鳴子一対と坂本竜馬像を一つ買いました。

ここからさらにのんびりゆっくりホテルまで歩いて帰りました。
手元の地図で見て約一キロの道のりでありました。

ところでホテルでは夕食は出ませんので
僕は高知駅によって軽く夕食をとることにしました。
一度入ったお昼の時の食堂は入りやすいですが
また牛肉に出会うのはいやでしたので
その隣のラーメン屋さんに入ることにしました。
このお店はなんと喜多方ラーメンの看板を掲げています。
こんなに遠く離れたところでも
自己主張を忘れないなんて会津恐るべしですね。
ここで僕は醤油ラーメンを頼みましたが
考えていたのとは違う醤油ラーメンが出てきました。
それが案外おいしいのでまたびっくりでした。

ホテルに帰ってロビーでビールを二本購入、
部屋でテレビを見ながらこれをおいしく飲みました。
地方に遊んだときには地元テレビを堪能するに限りますね。

二日目の朝はホテルの朝食で始まります。
朝指定のホテル二階のレストランに行ってみたら
思っていたよりも遙かに多くの宿泊客がいて
狭くはない食堂がほぼ満席でした。
20席くらいの食堂でしたね。
お運びさんも大忙しの様子でした。
僕は洋食メニューを頼んでおいたのですが
ほかの宿泊客のほとんどは和食メニューのようでした。
確かに洋食メニューはトーストにサラダ、フルーツ、ヨーグルトまで付いて
女性向けのようにも見えます。
それに引き替え和食メニューは鮭の切り身にご飯とみそ汁を基本とする
正しい日本の朝食です。
洋食メニューにもおみそ汁が付いていたのはご愛敬ですね。
嬉しかったけど。

この日はなんと言っても最初の目的地は高知城です。
ホテルをチェックアウトして荷物を預けてそのまま出発です。
高知駅前から出ている「よさこいぐるりんバス」を利用して
高知城に向かうことにします。
ホテルから高知城まで歩くと2キロはありそうなので
バスに乗ることにしたのです。
バスでも2キロですけどね。

かっこいいよさこいぐるりんバス。

よさこいぐるりんバスは全区間百円で
高知市街を循環している観光客の足です。
便数が少し少ないのが玉に瑕ですが採算性の面から考えると
仕方のないことなのでしょう。
この日僕が乗ったときも朝だったせいか二人しか乗っていませんでした。

最寄りのひろめ市場前で降りると恒例の日曜市で賑わっていました。

高知名物日曜市。

日用品や植木、食材など何でも売っている不思議な市でした。
興味深かったですけど
こんなところで何かを買い込むわけにはいきません。
ひろめ市場は土佐藩家老の深尾弘人蕃顕(ふかおひろめしげあき)の
屋敷跡付近にあるのだそうです。
そのひろめ市場そばに武市瑞山殉節の碑があると言うことでしたので
これを見て行くことにしました。
文字を書いた石の棒が一本建っているだけでした。
それでも武知半平太の無念を忍ぶには十分でありました。


その後高知城に向かいます。
追手門からお城に入ります。

高知城追手門。

まだ朝と呼べる時間に見る高知城は昨日の午後見た高知城とは
また違うすがすがしい感じに包まれています。
明るい日の光が形の良い高知城をより美しくしています。
板垣退助像昨日見た板垣退助像も朝見た方がいくらか凛々しいようです。

昨日は入れなかったお城の入り口をくぐって奥に進むと
狭い庭のようになっていてそこで入場料を払います。
下足を箱に入れて本丸を見学します。
本丸は天守閣の裾野のように広がっています。
聞けばこのように本丸と天守閣がセットで
残っているようなお城は少ないのだそうです。

高知城は江戸末期の建物ですから
実際に山内家が使っていたわけで凄いことですね。
本丸を一回り見学すると天守閣に登ることができます。
階段は急で上の階への開口部は狭く
登り切るところで頭を打ちそうになります。
少しでも床面積を確保しようという工夫ですね。
天守閣は主に板の間でありまして分厚い他の床材が
ここはいかにもいくさ対応の建築だと感じさせます。
天守閣に登ると狭いベランダ(そうは呼ばないと思うけど)が
付いていて高知の町を見下ろすことができます。

天守閣から城下の民の暮らしを見るというわけですね。

お城の見学の後は城下の町を歩きます。
しばらく歩いて寺田寅彦が育った家を復元した
寺田寅彦記念館に行くことにしました。

寺田寅彦が少年時代を過ごした家。

寺田寅彦は明治時代の優れた物理学者でしたが
同時に随筆家としても知られる多才の人です。
熊本第五高等学校では夏目漱石と知り合い(漱石が英語教師)
その後も親交が深かったようです。
この寺田邸は寅彦が
4才から19才までを過ごした旧宅を復元したものだそうです。
寅彦の少年時代を想像させてくれるものです。
寺田寅彦記念館には留守番係と思われる
上品な中年女性がいらっしゃいまして
来館者に丁寧な解説をしてくださいます。
たまたま客は僕一人だったせいもあってか
寺田寅彦にそれほど詳しくない
小生などにも根気よく説明してくださいまして
ありがたいことでした。

この日はこの後桂浜に行く予定でしたので近くの停留所で
よさこいぐるりんバスを待ったのですがなかなか来ないので
思い切ってタクシーに乗ることにしました。
桂浜行きのバスははりまや橋から出ていると聞いたので
タクシーではりまや橋に行くことにしたのです。

はりまや橋のバス停では30分ほど待ちました。

はりまや橋交差点。

はりまや橋の交差点は
高知市内でもっとも交通量の多いところだそうで
なるほどたくさんのクルマがひっきりなしに走っています。
今更ながら高知が大都会なのだと実感しました。
バスに乗って桂浜に向かう途中自由民権記念館というのがあって
途中下車して見たかったのですが時間の都合で今回は割愛しました。
たぶん次回はないですけどね。
バスを降りて帰りの時間をみると次のバスまでの時間がタイトなので
念のため帰りのタクシーがいくら位するか
案内の中年女性に尋ねてみたらだいたい3500円くらいとの話でした。
しかしこのおばさんはえらく親切でありまして
「タクシーに乗るよりあそこに止まっている
MY遊バスに乗った方が安く帰れるよ」と教えてくれるではないですか。
「700円で一日パスが買えるので
その方がタクシーより安いからそれに乗るといいよ」と
いうお話でありました。
タクシーに対する営業妨害ではないのでしょうかね。
僕は助かりますけど。

その彼女に道を教えてもらって桂浜に向かうとすぐに浜に出ました。

桂浜はきわめて美しい浜でした。

高台から見下ろす浜は美しく湾曲して
そのまま沖を見ると果てしない太平洋です。
海が思想に影響を与えることもあるだろうな
と感じさせる雄大な海でした。

少し歩くとあの有名な坂本竜馬像があります。

見応えのある像です。

思いがけない巨大な像でありまして
ここにも高知の人に坂本竜馬に対する思いを感じることができます。
そこから歩いてすぐの坂本竜馬記念館を見学します。

桂浜の坂本龍馬記念館、圧巻です。

坂本竜馬のおびただしい手紙類などが
展示してあってきわめて興味深かったです。
当時の他の維新の立役者に比べて
学があるとはいえない竜馬ですが筆まめの人だったらしくて
膨大な手紙が残されているようです。
坂本竜馬という人は学問はともかく頭の回転の良い
かつスケールの大きな人だったようですね。
勝海舟などの当時の優れた頭脳に
高く評価されていることからも想像できます。

この記念館を出たらもう僕は帰る時間です。
バス停に戻ってさっき教えてもらった
MY遊バスのチケットを買おうとしたら
窓口はカーテンが閉じられていました。
僕が困っているとそれを見たさっきのおばさんたちが大きな声で
「困ったねえどうしたものか」と騒ぎ始めました。
そうしましたらそれを聞きつけた中の人が
お弁当をほおばりながらカーテンを開けてくれまして
チケットを一枚売ってくれました。
有り難かったです。

MY遊バスは満員でした。
途中のいくつかの停留所においては運転手が
「補助椅子を使ってください」とアナウンスしましたし、
さらに混んできたときには
「そこの若い人は今乗ったお年寄りに席を譲ってあげてください」
と言っていました。
もっと便数増やして欲しいです。

バスに揺られてうとうと30分して高知駅につきます。
ホテルによって荷物をもらって帰路につきます。
この時点で午後2時でしたですね。
まだお昼は食べていません。
お腹がすきましたがそれよりも僕は家に帰らなくてはなりません。

実は僕はずっと迷っていたのです。
高知から空路羽田に飛んで帰宅するのか
鉄路でのんびり家に帰るのかの選択を迫られていたのです。
いくらか値段は高いですけど早めの帰宅で
家でゆっくりとビールなどを飲む絵が頭から離れません。
帰るなら早く家に着きたいですものね。

それで僕は空路を選んで高知の駅から
高知竜馬空港に行くことにしたのでありました。
僕はチケットは持っていませんでしたが
以前に九州の福岡から一度、四国の松山から一度
空港で直にチケットを買った経験があって
きっとチケットは買えるだろうとたかをくくっていたのです。
チケットを買ったら飛行機が飛ぶまでの待ち時間に
遅いお昼を食べようと考えて
とにかく空港行きのバスに飛び乗りました。

しかし今回は僕はチケットを買えませんでした。。
チケット売り場で満席キャンセル待ちといわれてしまったのです。
僕は困りましたですね。
考えてみるとやはり高知は遠いですね。
これから在来線と新幹線を乗り継いで帰るのは気が重いことです。
僕は電車で帰った場合の
帰宅予想時刻を思ってうんざりしていました。
飛行機を当てにして空港まできてしまった分
時間をかなり無駄にしてしまったわけですね。

気落ちしていても仕方のないことですので
僕は空港を飛び出してタクシーで高知駅に戻ることにしました。
高知の駅で僕は岡山までの在来線チケットと
東京までの新幹線のチケットを買いました。
岡山までは16時00分高知発18時27分岡山着の
アンパンマン号南風22号です。
車体には恥ずかしい、もとい、
かわいいアンパンマンの絵がいっぱいに描いてあります。

夢一杯のアンパンマン号。(^^;)

流石に車内には描いてありませんので
乗ってしまえばわかりません。
新幹線はのぞみ28号18時42分岡山発
22時06分東京着でありました。
のぞみは700系でしたので乗り心地は良かったです。

東京に着いたときにはほっとしましたが
池袋で東上線に乗ったら
「人身事故で電車が遅れております」という
アナウンスがありました。
ここでもまた僕の帰宅時間は遅れたのでありました。
そういうわけで僕は命からがら12時直前に家に着いたのでした。

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