佐原




2005年10月10日


佐原
漫画「風雲児たち」みなもと太郎を読んでから
江戸優りと言われた佐原の街を一度見ておきたいと思っていました。
伊能忠敬を輩出した街を見たかったのです。
しかし佐原の街は意外に遠くて
なかなか遊びに行く機会がありませんでした。

今回は連休がありましたので
その一日を使って佐原日帰りを計画したのでした。
車で行けばすぐなのでしょうが
小生はもう年ですので
あのような遠いところまで車で走る気はしません。
遠いところは電車で行くことにします。

旅情漂う雨の千葉駅ホーム
千葉で房総線に乗って成田で成田線に乗り換えて
佐原の駅に着きます。

佐原駅全景、電車の発着が迫ると改札が始まります
驚いたことに佐原の駅ではSUICAは扱っていませんでした。
東京駅からここまでSUICAで来てしまった僕は困ってしまいましたが
駅員さんはもっと困ったみたいであたふたとした結果
現金決済してSUICAの磁気処理は他駅ですると言うことで
お金を払いました。
佐原駅にも自動改札機を設置して欲しいものです。
たぶんもう行かないですけど。

駅は思いの外混雑しておりました。
聞けばこの日は三日間に及ぶ佐原の大祭の最終日だそうで
混雑するわけですね。
近隣から江戸優りの佐原の祭りを見に来ている日というわけですね。
駅前の観光案内所も人で一杯でした。
昨日はもっと混んでいたと話していました。
たいしたものです。

でも僕はお祭りを見に来たわけではありません。
伊能忠敬を育てた街がどんな街なのかを見たかっただけなのです。
出来ればお祭りじゃない日に来たかったですね。
来てしまったものは仕方がないですから
まずは駅前でお昼を食べて街を歩いてみることにしました。

いつもより人が多い佐原駅前
観光案内所でもらった地図を頼りに
太い道に沿って伊能忠敬記念館に向かいます。
途中お祭りならではの屋台が並んでいたり
あちこちのスピーカからお囃子が聞こえてきたりします。
街一色のお祭り気分であります。
関係ない僕もなんだか心弾むものですね。

地元の商店街を抜けると
昔の建物がよく保存された地域に出ました。

昔の雰囲気をよく残した佐原市街
この街角の雰囲気は川越のそれと似ています。
そう言えば川越もまた運河で栄えた小江戸と呼ばれた街でした。
ちょっと似ているかも。

更に歩くとその運河が見えてきます。
思ったよりも小さい運河です。
この水路を十二分に利用した水運業が評価されるべきですね。
伊能忠敬の家は酒造を中心にみそや醤油を造って
江戸と交易をして栄えた家なのですね。
伊能家の店の前から
すぐに運河の船に荷物を積んだり荷下ろしをしたり
出来るようになっていました。

佐原発展の要、運河
その運河に沿って伊能忠敬記念館や伊能忠敬旧宅などが残っています。
今回の佐原行の主な目的はここです。

平成十年に新築なった伊能忠敬記念館
伊能忠敬記念館はさすがに本場だけあって迫力がありました。
彼はこの地で育ってこの地で事業を成功させたわけですね。
後に家督を息子に譲り事業を隠居
齢五十にして江戸に出て天文学や測量を学んで
地図の製作に乗り出すわけですから凄いですね。
自分が今から新しい学問を身につけるようなものですから
その凄さがわかります。

伊能忠敬旧宅の奥に「伊能忠敬先生の像」が建っていました。
佐原の人が伊能忠敬を誇りに思うのは当然ですね。

伊能忠敬先生の像、知識に行動が伴うのは素晴らしいことです
伊能忠敬の偉業に圧倒されたあと
佐原市内を散策していると
さすがにお祭りだけあってあちこちで山車を見かけました。

鎮西八郎為朝の山車、雨よけのビニールがかけられています
山車は全部で十四台あるのだそうです。
それぞれ趣向を凝らして多彩な飾り物を乗せています。
源義経とか大南公とか小野の道風とかの人形です。
そのチョイスの基準が不明なのもご愛敬ですね。
飾りの人たちの歴史を知るだけでも
少しは日本の歴史の勉強になりそうです。

源義経の山車、勇ましい武者姿です
山車は数十人で引いて十数人で押しているようにお見受けします。
山車のすぐ前左右にブレーキと舵を兼ねた
てこと呼ばれる長く太い丸太を操る青年がいて
この役は熟練を要するそうです。

源義経駅前ロータリーを回る、内側の車輪ブレーキ(てこ)が高く持ち上げられていますね
伊能忠敬に会いたくて訪れた佐原市でしたが
思いがけず「江戸優り佐原の大祭秋祭り」も
併せて楽しむことが出来ました。
勇壮な山車の練り歩きを楽しんだ後は
早めに佐原を出発、夕方には無事家に帰り着きました。
疲れたけれどもラッキーな秋の一日なのでありました。

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