根津神社、東照宮




2003年11月24日


根津神社、東照宮
秋のさわやかな気候に誘われて
このところ停滞気味だった街歩きに出かけてみようと言うことになりました。
今回は上野公園の裏側辺りの未だ僕たちが
足を踏み入れたことがない地区に行ってみることにしました。
すなわち弥生、根津、池之端と言われる辺りです。

まずは地下鉄南北線の東大前駅に降りて根津神社方面に歩きます。
細い裏道をたどって日本医大病院の方向に向かいます。
するとなにやら広い敷地を持つ研究施設がありまして
門のところに不思議なモニュメントがありました。

なんだかよく分からない碑です
この施設は地震研だそうです。
地震の研究は難しいでしょうね。
なかなか成果の出せない分野での研究生活は
つらいものがあると思いますが是非頑張って欲しいものであります。

ところでこの施設の塀沿いには
ゴミ用のポリバケツを鉢にして植物を植えたものが
ずらっと並べてあります。

200メートルくらいですかね、この状態でずーっと並べてあるのです
あれは誰が何のために並べたものなのでしょうか、
不思議なものでありました。
並べてある場所はどう見ても公道上であり
個人が並べたとも思えません。
公が何故あのような危険なものを取り締まらないのか
はなはだ不思議であると思ったのでした。

小生はあの道を歩くことはもう無いと思いますが
近所に住む人はあの巨大な鉢植えの列をどう思っているのでしょうかね。
きっと季節になるとなにやら花が咲いたりして好評だったりするのでしょうね。
それにしても誰が並べたのでしょう。

この道を進んで日本医大病院に出ます。
僕は日本医大に来たのは初めてでしたので
その付属病院を外観だけでも見られたのは嬉しかったです。
何せ日本の医学界を代表する名門と言われる大学ですので
どんな病院か見たかったのです。

祭日のため病院は休診で周辺は閑散としておりました。
古くからの名門病院らしく
一部は未だ古い建物で頑張っている様子が見て取れました。

日本医大病院玄関看板
この日本医大病院からすぐのところに根津神社はありました。
ちょうど時期で七五三のお子さんが散見されました。
のみならず境内では結婚式まで執り行われておりました。

結婚式の記念写真風景。きっとこのあと別のところで披露宴ですね
僕たちが見たのは式後の記念写真の時だけでしたが
あのように神社で式を挙げる人が
今もいるのだなと不思議な感慨を持ちました。

でもよく考えると僕たちもまた神前結婚なのでした。
式場内の神殿の前で「かしこみかしこみー」ってやったのです。
確か僕は仏教徒なのにこれはいったいどういう事でしょうかね。
相手が神様だと何も考えないで受け入れちゃうのは何故なんでしょうね。

根津神社の境内はさすがそんな疑問を寄せつけない
重々しい雰囲気を持っていました。
それで僕も少しは厳かな気持ちになってお祈りしたのでした。
本殿の賽銭箱にお賽銭を入れて
「悩み深い小生の願い事をすべて叶え給え」と相変わらず自分勝手ですね。
だいいち悩みなんてあるのかというつっこみはなしですよ。

初めて見る根津神社は金ピカの神社でした。御利益に期待しちゃいます
根津神社を後にして上野のお山にあるという東照宮に向かうことにします。
途中お腹がすいたので時計を見ると既に一時近くになっています。
何かお昼を食べようと言うことになりましたが
休日のせいか開いている店が少なく開いている店はどこも混雑しています。
女の子の二人連れが鯛焼きを食べながら歩いていました。
何処かで鯛焼きを売っている店があるようですが
鯛焼きではお昼にはなりません。

それでも大きな通りに出たところで信号の向こうに
開店したばかりと思われる洒落た感じのおそば屋さんを見つけました。
のれんには「よし房 凛」と書かれています。
外観的にはかなり美味しそうです。
僕たちは信号を渡ってその店に向かって歩いて行きました。

その信号を僕たちと前後して渡った若いカップルが
「鯛焼きってこんなに美味しいものだとは思わなかったよ」と言いながら
歩いているのです。
見ると二人はほかほかの鯛焼きを食べながら歩いているのです。
二人が歩いてきた方角を見ると
そこからほど近いところに鯛焼きのお店があって
なんと10人くらいの人が並んでいるではないですか。

きっと名のある美味しい鯛焼き屋さんなのだと思われます
さっきの女の子達もこの人達も本当に美味しそうに食べているのを見て
僕たちは少し(結構)ぐらっと来ました。
お昼は鯛焼きにしちゃおうかと思いましたですね。
あるいは軽くおそばを食べて
さっきの若いカップルみたいに鯛焼きを歩きながら食べて、
そのおいしさの感動を共有するのもまたグッドなアイディアであります。
結局
軽くおそばを食べる案が採用されまして
まずはおそばのお店「よし房」に入ることにしました。

「よし房」はまだ新しいこぎれいな感じのお店でした
それほど広くない店内は僕らが入るともういっぱいという感じで
なかなか流行っているようでした。
僕たちは軽くおそばの人ですから
ざるを二枚頼むことにしましたがそれでは少し寂しいので
片方だけ天ざるにして
好きなものを取り合うバトル方式
もとい、譲り合い方式で食べることにしました。
僕たち夫婦は嗜好がかけ離れているので案外それでちょうど良いのです。

おそばは素晴らしく美味しかったです。
またこの辺りに来ることがあったら
またこの店で食べたいと思うくらいに美味しかったです。
その上少食の僕たちにとっては天ぷらが思いの外ボリュームがあって
そば湯を飲む頃にはもうすっかりお腹がいっぱいで
幸せな気分になっていました。
そう言うわけで鯛焼きを食べる計画は中止になってしまいました。
もっとお腹が沢山有ればいいのに。

幸せな気分のまま僕たちは上野のお山に向かいます。
「よし房」の面している道路は幹線道路ですが
この辺りは一歩裏道にはいると昔ながらの商店が散在しています。
表通りには時代に洗われた新しい店がどんどん出来ていて
その裏側には古くからの街が今も息づいているのが興味深いです。

路地を覗くと
小さい看板に「いなり寿司」とある店に何人もの人が並んでいたり
店先に沢山のお総菜を並べた店があったり
日用雑貨のよろずやがあったり行く先々で興味が尽きません。

途中宮崎映画にでも出てきそうな
三階建ての木造の店があり目を惹きました。

怪しい感じの木造三階建て。上に行くほど大きく見えるのは気のせいでしょうか
「はん亭」というお任せの串揚げ処なのだそうです。
美味しそうですがお昼後の僕たちには用のないところです。
こんなにいろいろ美味しそうでは
大食家の人がうらやましい気分です。

更に歩いて地図に導かれるまま東照宮に向かうと
上野動物園を突っ切るように道路があり
その途中上野精養軒のそばから階段を上って
めでたく東照宮の参道に出ます。

上野の東照宮。日光は遠いから作ったそうです。あきれた
東照宮は徳川家康その他を祭った神社ですが
境内には原爆慰霊の写真の展示などもあり興味深かったです。
「広島、長崎の火」を灯した碑もあって
平和・反戦に力を注いでいるようにお見受けしました。
何故東照宮が、とも思いますが
平和を唱えるのに理由はいりませんですね。

この火は元は原爆の火?
そこからまっすぐ不忍池に向かいます。
弁財堂を経由して不忍池を横断、
少し歩いて旧岩崎邸を見学していこうという計画です。
弁財堂にわたる道筋には沢山の屋台が出ていました。
焼きそばやチョコバナナを売っていました。
ああいうの結構好きなんですから困っちゃいます。

突き当たりに見えるのが弁財堂ですね
弁財堂の境内に入ったところで
石造りのめがね塚というのを見ました。
家康がかけていた眼鏡を模したレリーフの石碑でした。
いろいろなものがあるものですね。

僕も眼鏡をかけて既に33年になります。
最近近くを見るときは外した方がよく見えます。
何故でしょうかね。
弁財堂をすり抜けると
ボート乗り場があって湖面で遊べるようになっていました。
さすが日曜日の午後、大勢の人がボートを楽しんでいました。
カモみたいな水鳥も沢山いました。

なんだか一昔前に戻ったような感じです
上野界隈ってなんだか昔の匂いがするんですよね。
偏見ですね。

幹線道路に出て旧岩崎邸まで行く途中、
ある駐車場に驚きました。
駐車場の上に緑のネットがかけられて
ゴルフの打ちっ放しのゴルフボールが
その上にどんどん打ち込まれているのです。
ちょっとネットを信頼しすぎではないかと思うのです。

こんなのは初めて見ました。見ていて怖かったです

旧岩崎邸庭園についたときは午後3時過ぎでした。
僕たちは午後4時半までに家に帰る必要があったので
今回は旧岩崎邸見学は割愛せざるを得なかったのです。
結構楽しみにしていただけに残念でしたが
時間がないのですから仕方有りません。
この次の機会にとっておくことにします。

僕は根津、弥生、池之端の辺りは初めて歩きましたが
古くからの文化の香りがする
貴重な地域であることを感じ取れました。
とても面白い数時間でした。
もう一度歩いてみたい場所が増えてしまいました。

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