旧古河邸と渋沢史料館



2006年11月03日


旧古河邸と渋沢史料館
駒込の駅を降りて六義園と反対の方向にしばらく歩くと
旧古河邸があります。
以前からずっと行きたかった旧古河邸ですが
邸内の見学は予約を要するためなかなか見学の機会がなかったのです。
予約制というのは僕らのように予定を立てにくい人間には困った仕組みです。
予約などと言わずにもっと自由に見せて欲しいものです。
今回たまたま時間がとれたので
見学を申し込んでめでたく予約が取れたというわけですね。

前日までの天気予報では朝から雨と聞いていましたが
実際には朝方のみの雨で日中は晴れていたので助かりました。
駒込の駅を降りて目の前の本郷通りを北上すればいいわけですね。
ところが僕たちは昨年の11月に
六義園に行った時と反対側の改札口に出てしまったようです。
改札を出た目の前は広くはない道路に
商店が密集する駅前商店街でありました。
少し迷いながら本郷通りに出ると
道の向こう側に霜降りという商店街がありました。

さすが住宅地ですね、商店街がたくさんあるようです。
この商店街は昭和31年からの歴史のある商店街らしいですね。
東京タワーより二つ年上ですね。
ちょうど映画「三丁目の夕日」の舞台になった時代ですね。

近くで女子栄養大学があると言うので校門だけでも見ていくことにしました。
女子栄養大の校門は緩やかな坂の途中にありました。
校門なんか見たって仕方がないですけど中に入るわけにもいきませんしね。
そうしたらたまたま学園祭の最中らしくて
朝の準備で学生の皆さんが忙しく立ち働いています。

学園祭の女子栄養大学。坂戸にもありますよね。
そんなところに
僕たちのような年格好の夫婦(息子が大学生と浪人)が行ったら
これはもうきっと受験生の親と思われて
色々学校の説明をしてくれるに相違有りません。
それではなんだか申し訳ありません。
うちは息子二人なので女子栄養大には縁がないんですね。
ですから校門に近付きすぎないようにしながら学校を観察します。
非常に中途半端な不審な人たちになってしまいました。

女子栄養大を通り過ぎると
坂の上になんだかまじめな雰囲気の建物がありました。
門柱には「中央聖書神学校」と書いてありました。

とってもまじめそうです。
門柱そばの壁に学校のイベントのポスターが
貼ってありましてそこに牧師様の名前が書いてありました。
牧師様がいるんじゃここはプロテスタントの学校と言うことですね。
カソリックなら神父様ですね。

旧古河邸までは歩いて10分ほどですね。
正門について門を見ると
「秋のバラフェスティバル」と言う立て看板が出ています。

どうやら今はバラのフェスティバルの時期のようです。
想像するにいつもよりは人が大勢出ているようでして
邸内にはカメラを持ったおじさんがいっぱいです。
思いがけない混雑に思わずたじろぎましたが考えてみると
僕たちは予約してありますので
邸内の見学ツアーには参加できるはずですね。
庭園までは予約は不要で入園料150円でいつでも入れるわけですね。
(午前9時から午後5時まで、入園は午後4時半まで)
落ち着いて庭園内を見回してみると
プロ用カメラを持ったおじさんたちのほか
携帯電話のカメラを構えるおばさんグループや
デジカメで盛んに写真を撮る中年夫婦など顔ぶれは多彩です。
中にはデートで来たと思われる若いカップルもお見受けしました。
こんな落ち着いたところでデートする若者がいるなんて
日本も捨てたもんじゃありません。
旧古河邸は石造りの荘厳な建物でありました。

まさに絵に描いたような洋館ですね。
聞けばこの建物はあの有名な
ジョサイア・コンドルの作品なのだそうで
岩崎邸や鹿鳴館も彼の手によるのだそうですね。
岩崎邸を見たときにも思い出しましたが
コンドルは河鍋暁齋の弟子としても有名ですね。
ここでもまた懐かしい名前を聞いて
何となく嬉しかったのであります。

ガイドツアーまでしばらく時間がありましたので
建物南側のバラ園に降りてみることにしました。
バラ園はさすがフェスティバルをやるだけあってそれは見事なものでした。
沢山の美しいバラの中で
「プリンセスミチコ」と言う名のバラに心惹かれました。

だってプリンセス美智子ですよ!
畏れおおいことです。

さらにその下の庭に降りると建物全体の遠景が見えます。

建物って少し離れてみたときの方が大きく感じますね。

見学受付予定の時刻が迫って建物の玄関に行ってみます。
邸内見学予約の人たちが続々と集まってきます。
一回に30人ほどを案内するようです。
玄関前に小さなテーブルを置いて
係の人が見学者の受付をはじめています。
予約をしたしるしの葉書をここに差し出すと入場チケットに代えてくれます。
後は入場の際にこれを示せば入れてもらえるわけですね。
はなはだ面倒なシステムですが予約制ですので仕方有りません。
この建物を本当に見たい人だけに見せようという考えなのですね。

入場時間になってこの建物を管理している
大谷美術館の館員さんに案内されて館内に入ります。
ガイドさんは意外にもかわいらしいお嬢さんでした。
ところがこの方が素晴らしいガイドさんでありまして
わかりやすく丁寧な説明に驚きました。
ガイドさんは見ているこちらの疑問に思うことを
ことごとく先回りして説明してくれて
その上新しい知識まで得られるわけですから至れり尽くせりです。
大谷美術館、レベル高いです。
多すぎない人数で館内の説明も
しっかり聞けるこの予約制は素晴らしいシステムですね。
やっぱりガイドツアーは予約制じゃなくちゃ。
残念ながら写真撮影は禁止で建物内の写真は写せませんでした。

邸内は一階部分は主に接客用、
二階部分は住居用になっていたようで二階の方が少し質素なようです。
それにしても二階には
外から見えないように和室が作られていて驚きました。
良くできています。
でも洋室が好きなら洋館を建てればよいし
和室が好きなら日本家屋を建てればよいと思うのですが
なぜあんな造りなのかはちょっと不思議でした。
古河さんは洋館好きなくせに
和室じゃなければ落ち着かなかったんでしょうね。
とは言えコンドル渾身の作品に感服です。

ところでこの旧古河邸は建て主が去った後、
古河グループの迎賓館でしたが
終戦後進駐軍に接収されてその後は放置されていたそうです。
30年間にわたって邸宅は荒れ放題になって
その後改修して一般に公開したのだそうです。
廃屋となっていた時期にガラスなどは
ほとんどが割れていて改修は困難を極めたそうです。
詳しい説明に感心しっぱなしの一時間が終わり
希望する人はティールームでお茶が飲めると聞き
ここで一杯紅茶をいただいていくことにしました。

おいしい紅茶をのんびりと楽しんだ後は
いま一度日本庭園に降りてみることにしました。
なかなかまたここに来ることはないと思われますので
せっかくですから奥の方まで見ていこうというわけです。
日本庭園には大きな池がありました。

贅を尽くした日本庭園。
池の中程の石には数匹の亀が甲羅干しをしています。
しばらく見ていましたが亀はほとんど動きません。
あれは石なのではないのか、思いましたですね。
足下の水面に鯉が泳いでいきます。
どうやらこちらは本物のようです。
さらに奥に行くと邸内道路とも呼ぶべき広い馬車道に出ました。

これで屋敷内なんですからね。
全くどこまでも贅沢な造りです。
こんなに広くてどうするの、という感じですね。

そのあとバラ園に登り邸宅前に出ます。
庭先にかわいらしい水場が有りました。

植え込みと水場がマッチして非常に美しいです。

旧古河邸を見学して僕らはもうおなかが一杯です。
いつもならもう帰宅する気分のはずなのですが
もう一度本郷通りに出て飛鳥山公園に向かいます。
この近くの飛鳥山公園に渋沢栄一史料館があるというので
こちらも見ていかなければなりません。
僕たちは今月の初めに深谷に遊んだ際に
渋沢栄一の生家と渋沢栄一記念館を見てきてあります。
深谷は渋沢栄一の生まれ育ったところで
こちら飛鳥山は功成り名を遂げた
渋沢栄一の都内での住所だったわけですね。
それならやっぱり両方見ておきたいじゃないですか。

渋沢栄一史料館は真新しいきれいな建物でした。
入り口付近で中年の丁寧な係員とおぼしき紳士がよってきて
「見学ですか?渋沢史料館と北区飛鳥山博物館と
紙の博物館の三館共通入場券ですと割引になりますよ。
渋沢史料館の入場券だけでも青淵文庫と晩香廬の見学も出来ます。
午後一時からガイドによる渋沢邸後のツアーがありますから
そちらにもご参加下さい。無料ですよ」と熱心な勧誘です。
僕たちはご親切はありがたいのですが
未だ昼食を摂っていない身です。
この史料館見学の後は早くお昼を食べたいと思っていましたので
チケットは史料館のみを購入してツアーの方は遠慮することにしました。
整備の行き届いた落ち着いた雰囲気の史料館ですが
来館者はあまりいないようでした。
僕たちが行ったときには
僕たちのほかに数人の入場者が有るのみでした。
十分な予算に見合った来館者実績を上げるために
史料館の紳士が熱心になるのが分かる気がします。
史料館は豊富な資料が展示されていて
深谷のそれよりも充実しているようです。
しかし僕たちはすでに深谷で少しばかり
渋沢の人となりを承知していますので今回見るものも
復習をしているようだったのは否めませんでした。
復習って往々にして楽しくないですよね。

史料館の見学を終えて先程からの空腹に耐えかねた僕たちは
昼食は先程本郷通りで見かけた
竹邑と言う定食屋さんでお昼を取ることにしました。
ランチメニューのヒレカツは大変美味しかったです。

昼食を食べて少し元気を取り戻した僕たちは
ふたたび飛鳥山の渋沢栄一ゾーンに戻って
まだ見ぬ晩香廬に向かいました。

壁のある四阿みたいなものですね。でも暖炉や火鉢まであって四阿とは言えませんですね。
晩香廬は渋沢邸の離れのような物で
栄一は来客と庭を散歩した際にここで休んだのだそうです。
内装家具調度は当時の最高級品と思われます。
さらに晩香廬の隣には青淵文庫があります。

小さな書庫なら僕もほしいです。
これは栄一の号の青淵から名前を取った私設図書館ですね。
これらは渋沢栄一邸の庭先にあるわけですが
残念ながら肝心の本宅は焼失して今はありません。

青淵文庫の中は今は蔵書もなくて広々としておりました。
贅を尽くしたステンドグラスや壁に埋め込んだ
ニクロム線の暖房器具が往時の高級を偲ばせてくれるのでありました。

今回もすっかり疲れた、でも充実した秋の一日でした。

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