秋田



2006年10月21日


秋田
思いついて秋田に行くことになりました。
秋田は江戸時代は秋田藩20万石佐竹家の領地でありました。
この佐竹家は秋田に封ぜられる前は
常陸の国の有力な大名でありました。
しかし関ヶ原の戦いで西軍についたため秋田に転封されたのですね。
その佐竹家の足跡を自分の目で見ておきたいと思っていた訳なんですね。
また佐竹家には秋田蘭画という
西洋画の画風があると言うことも聞いています。
秋田蘭画は平賀源内が佐竹藩に招かれた際に
その画才を見いだした小田野直武がはじめた物ですね。
平賀源内が西洋画の遠近法の手法などを
小田野直武に教えてしばらく江戸に暮らした小田野は
あの解体新書の図版を担当したというのですから驚きです。
秋田に出かけたら是非秋田蘭画に触れてみたいものです。

土曜日の午後
診療が終わると昼食もそこそこに電車に飛び乗ります。
JRからモノレールに乗り換えて羽田空港は第二ターミナルに到着します。

新しくてぴかぴか、第二ターミナル
今はモノレールもスイカが使えるのですね。
便利になったものです。
飛行機はANAのB767−300と言うやつですね。
ジャンボよりちょっと小振りの大型機です。
飛行機という物は乗るまでの手続きが
チェックインだの荷物預け入れだの手荷物検査だの
はなはだ面倒な物ですが乗ってしまえばかなり快適なものです。
離着陸時の恐怖を克服できれば空路での旅行は悪くありません。
僕ももう少し年をとったらもっと頻回に飛行機に乗ることになるでしょう。

秋田空港は秋田市街からはかなり離れていて
(これはどこの都市でもそうですね)
バス乗って一時間ほどのところにあります。
秋田で飛行機を降りたらそのリムジンバスに乗って秋田駅まで移動します。
秋田駅前のホテルに宿を取ってあります。
駅に着いた頃にはもうすっかり日が落ちて
まずはホテルにチェックインすることにします。
ここで荷物を置いて切れてしまったデジカメの電池の補充と
夕食を目的に駅に向かいます。
小生は元々食通ではなくて
食べ慣れたものを少し食べれば満足してしまうタイプです。
食事に冒険はしませんし量もそれほどいりません。
何より興味がないのです。
それで市内の食べ処を探す意欲はさらさら無くて
駅ビルに入っているトンカツ屋さんで
ヒレカツ定食を食べて満足して部屋に帰りました。

その後は冷蔵庫のビールを飲みながら
面白くもないテレビを見て夜を過ごしたのでした。
若い女性が楽しそうに庭先で除雪機を乗り回している
家庭用の除雪機のCMには心惹かれました。
うちの方ではお目にかかれないCMです。

翌朝は早めに起きて朝食を摂ったら
赤れんが郷土館と言うところに行こうと思っていました。
予定通りホテルをチェックアウトして荷物を預けていよいよ出発です。
しかし赤れんが郷土館に歩き始めてすぐに気がついたことがあります。
赤れんが郷土館の開館時間は9時です。
このまま赤れんが郷土館に到着すると
開館時間の一時間前に着いてしまって
はなはだ時間を無駄にするおそれがあるのです。

それで小生は方針を変更して秋田駅からJRに乗ってみることにしました。
JRから北に一駅、土崎駅に行けば海に近い感じがします。
出来たら日本海を見て行きたいじゃないですか。
秋田のものがなしい日本海を眺めながら
ものおもいにふけってみるのも良いじゃないですか。
そう思ったら是非JRに乗ってみたくなりました。
ローカル線に乗るのも楽しそうです。

車両もキハってかんじ?
秋田駅から男鹿線に乗って一駅、目指すは土崎駅です。
男鹿線は秋田から男鹿半島方面に行く列車ですね。
車内は空いていました。
長いとは言えない路線ですが車両には
トイレが付いていてドアはボタン開閉式の寒冷地仕様です。
見る物が皆珍しい状態です。

男鹿線車両、ドアは一番前と一番後ろです。
一駅乗って土崎駅に到着しましたのでここで下車します。
これ以上遠くに行って
秋田市内の見学を棒に振るのは本意ではありません。
この駅で降りて出来れば海まで歩いて
日本海を見るというのが本来の計画です。
しかし僕はこの駅で降りて驚きました。
予想よりも遙かに小さい駅だったのです。
駅が小規模なのはかまわないのですが
駅前に繁華な雰囲気がないのですね。

土崎駅外観。もっと大きい駅だと思っていました。
ただタクシーばかりが何台もたまっていました。
駅舎内の案内地図を見ると日本海までは2キロくらい有りそうです。
歩いて往復するにはちょっと遠いですね。
僕はこれから秋田市内を少々歩く予定ですから
ここで足をくたびれさせるわけにはいきません。
タクシーで海を見に行こうかとも思いましたが
海からの帰り道にタクシーがつかまらないおそれがありますので迷います。
海を見るためにタクシーをチャーターする気にもなれません。
結局僕は駅周辺をうろうろして
20分後の秋田行きの男鹿線に乗って市内に引き返したのでありました。
いいんです、僕はローカル線に乗りたかったのです。
帰りの列車を待っているとホームに冬の防寒用の待合室を見ました。
まだまだ寒くはありませんがもうじき冬になる様子で
待合室の各椅子には座布団がおいてありました。

土崎駅のホームの待合室、冬は寒いんでしょうね。
秋田市駅に戻った小生は市街の観光地をいくつか回ることにしました。
まず最初に赤煉瓦郷土館を見学して
次に竿燈大通りがどんな通りかを一目見て
そののち民俗芸能伝承館旧金子家住宅を見学します。
そこまで見たら今度は佐竹資料館に回ってみようという計画です。

土崎駅を往復したおかげで時間はちょうど良くなったのですが
駅から赤れんがまでは1qほどありそうです。
疲れをためたくない僕はここでタクシーを使うことにしました。
タクシーのおかげで赤れんが前には開館時間の5分前に到着しました。

堂々たる旧秋田銀行本店。
そこで僕は開館時間が来るまで道路の反対側から
赤れんが郷土館の全体像などを写真に収めたりして時間を過ごしました。
開館時間の2分ほど前に郷土館のシャッターが開きました。
僕はまだ時間前なのでちょうど開館時間の9時になるまで
辛抱強く入り口の前で待っていたのでした。
その開館時間の1分ほど前に
大きな観光バスが赤れんが郷土館の前に止まりました。
そしてそのバスから出てきた人たちは
ガイドさんとおぼしき人と一緒にどんどん中に入って行くではありませんか。
その前から開館時間を待っていた僕などは眼中にないようです。
あれよあれよという間に僕の目の前で
観光バスの客が赤れんが郷土館に入館していきます。
僕はその団体が皆赤れんが郷土館に入るまで
静かに待っているしかないのでありました。
あんまり愉快じゃないですね。
赤れんが郷土館そのものは素晴らしい建物と展示でした。
建物は旧秋田銀行本店を郷土館に修復した物で
明治期の代表的な洋風建築です。
現在はその内部は旧秋田銀行の頃の内装をしのばせる展示と
鍛金家関谷四郎氏の展示があります。
また隣の建物では版画家勝平得之氏の記念館があります。
僕は一人歩きの気楽さでガイドさんの長広舌を聞いている
さっきの忌々しい団体客を追い抜いて
気になる展示物をじっくりと見て回ることが出来ました。

赤れんが郷土館を見終わって
今度は民俗芸能伝承館(ねぶり流し館)に向かいます。
途中、竿燈大通りと呼ばれる通りを見ました。

道幅のある車が沢山走っている幹線道路ですね。

さらにしばらく歩くと旧金子家住宅が見えてきます。
金子家は江戸後期に質屋古着商をはじめて
明治初期には呉服を扱った商家です。

昭和57年までこの店で商売をしていたと言いますから驚きです。
そのまま隣接する民俗芸能伝承館すなわちねぶり流し館にはいります。

ここは秋田自慢の竿燈祭りの展示をしています。
無学な筆者は今まで竿燈祭りという物が
どういう物なのかをよく認識しておりませんでした。
竿燈を腰やおでこに乗せて練り歩く凄いお祭りなんですね。

館内の展示、人形が竿燈を腰に乗せています。
展示は竿燈祭りのすばらしさを余すところ無く伝える素晴らしい物でした。
きっと本物の竿燈祭りはもっともっと勇壮なものなんでしょうね。
いつか竿燈祭りの時の秋田に遊びたいものです。
民俗芸能伝承館を堪能した後は久保田城跡の千秋公園に向かいます。
ここにある佐竹資料館を見ておきたいのです。

由緒正しい佐竹資料館
佐竹資料館はさすが佐竹家のゆかりの資料館ですね。(あたりまえですね)
佐竹家が清和源氏の流れをくむ
由緒正しい家系であることが詳しく書いてありました。
佐竹家は鎌倉以来の名門と言うことですが
上杉や伊達に囲まれて浮沈の激しい家だったようですね。
それでも江戸時代はよく秋田に根を下ろして藩経営に腐心したそうです。

佐竹資料館から御隅櫓に向かう途中佐竹義堯の銅像を見ました。

あたりをはらう佐竹義堯の銅像
秋田佐竹12代、最後の殿様であります。
明治維新後侯爵となります。
やっぱり佐竹家が奥州列藩同盟に与しなかったからでしょうね。

次にいよいよ御隅櫓に向かいます。
千秋公園内では唯一お城の格好をした建物です。
お城の建物はどうして心躍るのでしょうね。
入ってみると一階と二階は展示室、
三階はブランクで四階は展望室という構造でした。
展示室には佐竹家が清和源氏の流れをくむことと
歴代の藩主の主な業績を展示してありました。
天守閣を持たないお城だったという久保田城ですが
御隅櫓は登ってみるとなかなか見晴らしが良く
ほぼ天守閣の役割を果たした物と思われます。
御隅櫓は城郭の隅の高台に建てられているため4階建てとは言え
かなり高いところから城下の街や畑を突っ切ってくる敵兵などを発見できます。
と思っていたらパンフレットによると
実際の昔の本物の御隅櫓は2階建てだったそうです。
まあそれでも結構遠目は効いたと思います。

ここまで歩いて僕はもうくたくたでした。
時刻はもうじきお昼ですがもう歩くのは限界です。
もう早くホテルに帰って預けた荷物を引き取って家に帰りたいです。
しかしそれには駅まで帰らなくてはなりません。
お城の高台を下ってきたところで
なにやら懐かしい音楽が聞こえてきます。
思わず音楽に引き寄せられていって見ると
あれ懐かしや東海林太郎記念碑が有るではないですか。

東海林太郎氏はこちらのご出身だったのですね。
ここでは東海林太郎の名曲を立ち止まった人に聞かせて
往年のあの人を懐かしんで貰おうという仕組みですね。
筆者も東海林世代のしっぽですので氏の数々の名曲が懐かしくて
しばらくその前でスピーカーから流れる歌声に聞き入ってしまいました。

ところで僕はまだ一つ宿題を抱えていました。
これだけ秋田ゆかりの資料館を回って
今なお秋田蘭画に触れていないのです。
わずかに御隅櫓の展示の中で8代義敦が小田野直武とともに
平賀源内から西洋画の手法を学んだことが記されているのみです。
どこにも秋田蘭画が展示されていないのです。

そこで秋田駅近くの広小路に面した
アトリオン内の千秋美術館に行ってみることにしました。
ここならば秋田ゆかりの秋田蘭画の展示をしていると考えたのです。
ところが千秋美術館はこの日別の人の特別展をやっておりました。
僕は仕方がないのであきらめて帰ろうとしましたが
念のため小田野のことを聞いていこうと思いました。
だって再び秋田に来るのはしばらく先になりそうですからね。
僕が受付の秋田美人のお姉さんに
「ええと、あの、あの」と言いたいことを伝えようとするとさすがの受付嬢
「秋田蘭画ですか?」との助け船です。
秋田の受付嬢、レベル高いです。
「ええ、そうです」受付嬢の勘の良さに舌を巻きながら答えます。
「秋田蘭画の展示はしていないのですか?」
「ええ、していません。でももしよろしかったら
秋田蘭画について書かれたこの小冊子を差し上げます」と言うではないですか。
「それはありがたい」僕は一も二もなくこの小冊子をいただきました。
僕はこの秋田の地で秋田蘭画には出会えませんでしたけど
秋田蘭画の小冊子と秋田の人の親切に触れて幸せな気分になりました。

そのあと駅で軽い昼食を摂りホテルで荷物を引き取り
小一時間バスに揺られて秋田空港に向かいます。
出発ロビーで膨大な待ち時間を過ごした後、
空路東京に向かったのでありました。
今回は秋田に遊ぶには非常に短い時間しかとれませんでしたが
短い分非常に充実した旅行になりました。
なにより最後に秋田蘭画小冊子を手に入れてすっかり満足した僕なのでありました。

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